鏡氷湖 弐


「大丈夫だって言ってるのに!」
「どこが大丈夫なんだよ、このボケなす!」
戦闘後、すっかりおなじみとなった大将と特攻隊長の口争い。
「大将なら大将らしく、後ろにひっこんでろ!」
「ひっこんでたら、回復が間に合わないじゃないか!」
放っておくと永遠に続きそうなので、見かねた楊センが口を挟む。
「まぁまぁ、太公望殿。天化殿も心配して言っているのですから」
「だからって、子供扱いしすぎです! まったくもう、僕ってそんなに頼りないかなぁ……」
しょんぼりした様子に、かなりね、と心の内で呟くが、口に出すようなヘマはしない。
ひとしきり大将を慰めてから、今度は特攻隊長に声をかける。
「天化殿、ちょっと言い過ぎじゃありませんか? 太公望殿も、色々努力しておられるようですし。子供じゃないんですから」
「その努力が実を結んでりゃあ、俺だって何も言わねぇよ」
気心が知れて遠慮がない分、お互いずけずけと言い合うのできりがない。
二人してふん!と顔を背け合う。
どうせ、一刻もすれば、何事もなかったかのように話し始めるのだが。
――やれやれ、犬も食わないってヤツですかね。
溜息をついた楊センの袖の中で、哮天犬が小さく吠えた。

*

「冬でも凍らない湖?」
「なんかどっかで聞いたことのあるフレーズだな……」
先に太公望の方が思い当たった。
「夏でも氷が解けない湖……」
「鏡氷湖か!」
前にこのあたりに来た時は夏だった。
竜の悲しみで凍りついた湖は、陰の気がたまって浄化が必要だった。
結局、原因であった竜と、彼が守っていた女性を救うことによって、氷も解け、陰の気は自然と消滅したのだが。
冬でも凍らないということは、今度は陽の気が溜まってしまっているのだろうか。
竜が守護する場所は、普通は自然があふれる豊かな土地になるはずなのに。
「……ったく、何やってんだ、あの二人は!」
千年の時を経て、ようやくめぐり合え、仲睦まじく過ごしている……とばかり思っていたのに。
一度関わった以上、放っておくのも落ちつかない。戦いの合間を見て、鏡氷湖を訪れる。
――湖は随分と様変わりしていた。前は生き物の気配もない冷たい場所だったのだが。
今は、冬だと言うのに周辺には草が生い茂っていた。湖上を水草が埋めつくし、緑のじゅうたんを作り上げている。
陽の気がたまっているというわけではなさそうだ。だが、他の土地よりも明らかに気温が高い。
水に手を入れた太公望が呟く。
「ぬくい……」
「温泉――?」
この広い湖全体を温めてしまうとは、一体どんな術を使ったのだろう。
こんな大掛かりなことをすれば、普通は土地のバランスを崩してしまうのに。
幸い、辺りにはそんな気配もない。
「まぁ、太公望様、天化様。お久しぶりです」
青々と茂った潅木の間から現れた娘は、嬉しそうに微笑んで頭を下げた。見間違いようもない。氷竜が見初めた乙女だった。
この様子では、竜に何か異変があったというわけではなさそうだ。
「聞いてくださいな! 氷竜様ったら、風邪をひくといけないから、出歩いちゃだめだなんて言うんですよ。冬は寒いのが当たり前だって申しましたら、近くの火山の下を通る地下水と、この湖をつなげてしまったんですの。本当に無茶をする方ですわ!」
……怒っているのを装って、思いきりのろけているように聞こえるのは気のせいだろうか?
「あんたら、痴話ゲンカで湖を温泉に変えちまったのか?」
確かに、自然に温められたものを引きこんだだけなら、土地のバランスを崩すこともない。だが、一人の為にやるには、その規模が大きすぎる。
あきれて溜息をついたところに、噂の主が現れた。
「紅花(ホンファ)、最近はこの辺りにも妖魔が出る! 勝手に出歩いたら危ないと、何度言ったら……お?」
娘の大きさに合わせているのか、人間よりも少し大きいくらいの姿となった竜が、湖から顔を出している。
元々神となる素質を持つ竜の一族。人間の言葉を操ることなど造作もない。
娘と再会できたことで、千年前に得ていた術力と知識をたちまち取り戻したのだろう。紡がれる言葉は流暢だった。
「おお、これは久しい、無事で何より――」
「お二人は、この湖のことを聞いて、わざわざ来てくださったんですよ。やっぱりやりすぎだったんですわっ!」
「私は、お前のことを思って……」
「氷竜様は私を子供扱いしすぎですーっ」
「あっ、紅花殿っ」
駆け出して行ったしまった娘を、太公望が追いかける。
取り残された竜が、がっくりと首を落として呟く。
「私は彼女のためを思ってしているのに、少しも喜んでくれない……」
この竜が、彼女の為に何かと余計な真似をして、そのたびに怒られているのは想像に難くない。
人間と竜では、感覚の桁が違いすぎるのだ。
なんと人騒がせな痴話ゲンカ。
「彼女も子供じゃねぇんだしさ。もう少し本人の好きなようにさせてやれば――っ!!」
そこまで言って、天化は自分が楊センに言われていたことだと思い至り、絶句する。
普段の口ゲンカは、周りにはこんな風に見られていたのだろうか。
額を押さえて、大きく溜息をつく。
その頃、もう一方は。
「氷竜様は、過保護過ぎるんですわっ」
「まぁまぁ。氷竜殿も、貴方を心配してしてやっていることですし――っ!!」
こちらも、それが楊センに言われていたことだと思い至る。
彼らを大人気ないなどと言う権利など、どこにもなかった。
普段、どんなに周りをあきれさせているかに気づいて、深い溜息。
自己嫌悪に陥った二人を、いつの間にか竜と娘が慰める羽目になっていた。

半刻後。
氷竜のところに紅花が戻った。元々本気でケンカしているわけでもない二人は、あっさり仲直りしている。竜が好きな果物を紅花が口元に運んだりしていて、見ている方が恥ずかしい。
氷が解けてから、ずっとこの調子なのだろうというのが容易に想像できた。心配したのがバカみたいだ。
存在を忘れ去られた太公望と天化と言えば。
互いに、自分たちのセリフを聞かれたわけでもないのだが……。
――気まずい。
他人(ひと)のフリみてなんとやら。
ちょっとだけ反省した二人は、歩み寄りを試みる。
「その……悪かったな。これからは、うるさく言わねぇようにするからよ」
「僕こそ、心配してくれてるのに、言い返したりしてごめん」
そんな様子を知ってか知らずか。
何かと世間を騒がせる竜と娘は、そのアツアツぶりで湖の温度をさらに上げていた。

*

相手の立場を思いやって……とは言うものの。
やはり、一度ついた習慣とは恐ろしいもので。
「引っ込んでろって言ってるだろうが、この大ボケ!」
「天化こそ、少しは僕の指示にしたがってよね!」
和解などと言う物は、わずか一日も保たなかった。
怒鳴り合いが聞こえないとかえって落ちつかなかった仲間たちは、いつもの痴話ゲンカ(!)が始まったことにほっとする。
「いやー、やっぱりこうでないと、あの二人って気がしませんよね」
ケンカをしてくれないと、仲裁というおいしい役目を失ってしまう楊センが、お茶を飲みながら呟き、今日は放っておくことにする。
半ば誰かに止めてもらうことを期待している言い争いは、その日誰にも止めてもらえず、夕刻まで続いていた。
すっかり喉を痛めた二人は、またちょっとだけ反省したらしい。

END


極端から極端へ走る氷竜サマ。凍りつかせたと思ったら、今度は温泉です(笑)。
湖では、温泉に入りに来た猿やら熊やらが、仲裁役だったりして。


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