「梅香里(メシャンニ)」
「もーだめ! 腹減って動けねぇ!!」
「僕も……」
少年の姿をした猿の妖怪、孫悟空。そして、今は彼の連れとなった玄奘三蔵。
今まで、この寒空を筋斗雲で飛び回っていたのだ。すっかり冷え切ってしまった。
術を使って盛大に火を焚きながら、悟空が喚く。
「あー、やっぱりこの時期に梅なんて無理だぜ」
「早咲きのが一つくらいあるかなと思ったんだけど……やっぱりだめかなぁ」
大きくため息をついた時。
空の彼方で赤いものがきらりと光ったと思うと、凄まじい勢いで何かが地面に落ちてきた。
地面を陥没させた謎の物体に恐る恐る近づいてみると、それは巨大な赤い魚(らしきモノ)だった。
「おおっ! 天からサカナが降ってきやがった! 神の助けってやつかぁ? ありがたくいただこうぜ!」
早速、如意棒を伸ばし、魚(らしきモノ)をくくりつけて焚き火にかざす悟空。
「ご、悟空……ちょっと――なんだか、このサカナ、人の顔しているような気がするけど……」
「細かいこと気にすんな! サカナはサカナだ!」
びちびち。
サカナは必死に身をよじっている。泣いているように見えるのは気のせいだろうか。
まさに火で炙ろうとしたその時。
空の同じ辺りが、きらりと光った。
今度は、地表で金色のもやのようなものが渦巻いたかと思うと、その場に神気をまとった二人連れが現われた。
見覚えのある姿だった。
一人は猛々しい気性そのままの武将神。もう一人は穏やかな眼差しの優しげな青年。
「おい、そこの二人、ちょっと尋ねたいことが……ん?」
「あ、三蔵殿と悟空殿だ」
人界を巻き込んだ、天界とアスラの戦い。
その際に、人界に降臨した神将の一人、炳霊公。もう一人は数千年前から魂のまま人界に残っていたという姜公。
神将は滅多なことでは人界には降りないと聞いていたのに。
意外な再会に、三蔵は驚く。
「姜公様、お久しぶりです!」
「三蔵殿、お元気そうで何より……」
「あれ? なんだか前より若くなっておいでではありませんか?」
「分かります? ちょっと色々ありまして……」
にこにこにこにこ。
人当たりが良く、のんびりめの気質の二人を並べておくと、どうも緊迫感に欠ける。
緊迫感に欠けることでは、さらに上をいく悟空は、腹が減って機嫌が悪いことを隠そうともしない。
「あの二人に挨拶させとくと夜が明けるぜ。炳霊公、手っ取り早く頼む。俺は腹が減ってるんだ」
「……分かった。実はな、ナマモノを探してる」
「ナマモノ?」
「一見でかい鯉みたいなので……」
びちびち。
「赤くて、人面……」
びちびちびち。
さすがに、その物音に気づいて、振り返りたくないが振り返る炳霊公。
当然、今にも丸焼けになりそうな魚(らしきモノ)が目に入る。
「おわっ、悟空! こんなもん食う気だったのか、お前!」
「いやー、腹減ってたもんで……」
騒ぎに気づいた姜公が、ぱたぱたと走り寄って来て、わあっ、と感心したように歓声を上げた。
「ねぇ、天化」
「なんだ」
「このまま悟空殿に消化してもらえば、一気に問題解決!な気がしないかい? 僕たちがここに来たのが一刻ほど遅かったってことにして」
「……お前、人面魚がからむと、人格が違ってきてるぞ」
びちびちびちびち。
「なんだよ、コレ、あんたのところの飼い魚だったのか?」
「こんな趣味の悪いモン、飼う気はない。……正体は、南海竜王の血筋で、一応龍だ。うっかり神界から叩き落としちまったんだが、預かりモンなんでな、念の為、生死くらいは確認しておこうと思って探してた。――食いたけりゃ、止めないが」
「人形になると、朱涼鈴殿につきまとっていた霊感公子によく似てるんだよね」
「げーっ、食いたくねぇー!!」
赤い魚(らしきモノ)は悟空によって、絶叫と共に如意棒ごと蹴飛ばされた。
丸焼けは免れたものの、赤い魚(らしきモノ)は岩に頭をぶつけて、目を回していた――。
*
「ところでお二人は、こんなところで何をしているんですか?」
探し物を見つけてくれた礼にと、天界の果物を山ほどもらい、幸せ一杯の悟空と三蔵。
機嫌をよくした悟空による、豪華な焚き火にあたってぬくぬくしながら、三蔵がにこりと答えた。
「梅の花を探しているんです」
まだそこかしこに雪が残っている。
梅の季節にはまだ半月ほど早い。
「街に病気の女の子がいて、薬を上げたんですけど――梅の花が見たいって言うんです。体力よりも気力が落ちちゃってるもんで、見せてあげられたら、元気になるかなって思って」
「でもよー、いくらなんでもまだ咲いてないぜ」
また明日も筋斗雲で飛び回るのだろうかと、悟空がぼやく。
三蔵が一度言い出すとなかなか強情であきらめないことは、天竺までの旅でよく分かっていた。
二人の苦労を察して、何か手助けしたいとは思っても、人界の自然に神界の者が関わるわけにはいかない。
「ここへ来るまでも、さすがにまだ梅は見なかったね」
「いや、待てよ。あそこなら年中春みたいなもんだから、もしかすると……」
「ああ、あそこ」
二人には、どこか心当たりがあったらしい。
「ちょっと遠いが……悟空、行けるな?」
「おう、任せとけ!」
お腹いっぱいで温まってくれば、機嫌もよくなろうというもの。悟空はすでに筋斗雲を呼び寄せている。
「よし、行くぞ」
「鏡氷湖は久しぶりだね」
「あのう……」
「忘れ物だ」
思い切りわざと忘れようとしたのに、悟空と三蔵が親切にも赤い魚を拾ってきてしまった。
*
「おお! あったけー」
連れてこられたのは、山奥の大きな湖だった。
どこかが温泉につながっているらしく、水全体が温かい。
そして、その気温のせいで、辺りの植物はすっかり春の装いだった。
「すごい……春の花がもう咲いてる。――梅だ!」
風が吹くたびに、独特のふくよかな香りが漂ってくる。
湖畔の一部には、白や紅が咲き乱れる梅林があった。
数枝もらってもよいだろうかと三蔵が振り返ると、湖から水しぶきを上げて大きな生き物が姿を現した。
銀色の鱗が美しい龍だった。
神将たちに気づいて、懐かしそうに目を細める。
「おお、炳霊公殿、姜公殿。つつがないか?」
「おかげさんでな。こちらも何事もないようで何よりだ。……連れに、梅の枝を少しわけてやって欲しいんだが」
「好きなだけ持っていくといい。見てくれる者がいるのなら、梅の花精たちも喜ぶだろう」
「ありがたい。……ついでに、ものは相談なんだが」
炳霊公が、背負っていた鯉もどきを地面に降ろす。
「ん……これは、玉翠か!?」
どうやら、顔見知りだったらしい。
「これ、この湖に置いてくれないか」
「断る」
即答だった。
「冷てえな。一応血族だろ?」
「こいつは2000年ほど前に、さんざん紅花にまとわりついていたんだぞ! あきらめさせるのに、一体どれだけかかったか! 冗談じゃない!」
どうやら、はた迷惑な龍の公子は何千年たっても成長していないらしい。
「2000年ほど前って、もしかして俺たちと会った頃か」
「そうだ。川を逆上って滝登りに挑戦したようなのだが、途中で人間に叩きのめされたとかでな。気を失ったまま、この湖まで流れてきおったのだ。龍族のくせにまったく情けない……」
「それってもしかして――」
顔を見合わせる炳霊公と姜公。
……心当たりがあるところが怖かった。
*
「なぁ、炳霊公」
「ん?」
「霊力があれば、人間も神籍に入れんだろ?」
「……まぁ、他にも色々条件はあるみたいだが――どうした?」
飽きるほど寿命がありそうな石生まれの妖怪は、小さく溜息をついて空を見上げる。
冷え切った夜空には、無数の星がきらめく。
あれを数え終わっても、自分は死なないだろう。
「アイツは……元々天界人だったわけだし、霊力もあるし、観音にも貸しがあるよな」
悟空が何を言いたいのか分かり、炳霊公は焚き火の前でうとうとしている人間の少年に目をやる。
「俺は、500年も石に閉じ込められてたろ? これから先も死ぬなんて考えたことねぇ。それなのに、人間はたった100年程度だって言うじゃねぇか。――石の中にいた500年より、あいつと旅した方が長く感じた。この先、ずっとこんなだったら、退屈することもねぇと思う。でも、終わりがあるんだと思ったら……急に怖くなった」
怖いもの知らずで鳴らした悟空が、素直に弱音を吐く。
生き物の寿命。
これだけは、どんなに自分が修行を積もうと、術力を増そうと、思うようにならない。
同じ妖怪なら、まだどうすればいいのか見当がつく。
けれど、あんなに生命力にあふれていながら、ほんの少し傷ついただけで死んでしまう人間はよく分からない。
長く生きても100年だなんて……短すぎる。
「人間の生きる価値は生きた時間の長さじゃない……なんて言っても、納得しないんだろう?」
元は人間であったが、今は神将として永遠とも言える寿命を持つ炳霊公。
今は探し人も、同じような存在として共にある。
それを悟空が羨むのは、当然ではあった。
「三蔵には、それだけの資格と力がある。時期が来れば、自分で選ぶだろう。……それまでに、お前が三蔵に、もっと共にいたいとどれだけ思わせるかだ」
「そんなんでいいのか?」
「ばーか、それが難しいんじゃないか」
自分が一緒にいたいと思うように、三蔵も自分といたいに決まっている、と信じて疑わない悟空は、何故そんなことを言われるのか分からない。
炳霊公は苦笑する。
――この調子でひっぱって行けば、おのずと答えはいい方に出るだろう。
「お前にそこまで考えさせるとは、三蔵はすごい」
「あっ、てめえ、今なんか馬鹿にしやがったな!」
「考えすぎると知恵熱起こすぞ、石頭」
梅の香りが漂う満天の星の下、いつまでも罵り合いが続いていた。
それぞれの連れを起こさないように、ほんのささやき声で。
END
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西遊記編