「鈴花笑」


穏やかな昼下がり。次の関門まで戦いはない。
朝歌にも、早くこんな平和な日々が訪れるといいのに。
高台から西岐の町並みを見下ろしながら考えていた太公望に、甘えたような声が呼びかけた。
「太公望様ぁ」
「竜吉公主殿。どうなさいました?」
竜吉公主は美しい。間近に来られると、ちょっとどきどきしてしまう。
しかし彼女は、意中の人以外目に入っていない。……だから安心して話せるような気もするが。
「楊セン様がおられませんの。見かけませんでしたかしら」
「いいえ、まだ今日はお会いしておりません」
「……皆さんはご存知ありませんこと?」
まともに微笑みかけられた土行孫、竜鬚虎、武吉は、メロメロの表情で答える。鈴花笑の魔力は味方にも十分有効である。
「いや、知らねぇな」
「知りまへんで」
「見てないですよ」
「まぁ、どこへ行かれたのかしら。――楊セン様ぁーっ」
彼女なりにあわてているようなのだが、その口調とふわふわと空中を浮遊している様子はどうも緊迫感に欠ける。もっとも、戦場でもこんな感じだ。
「公主って本当に楊セン殿が好きなんだなぁ」
その姿を見送って、太公望は苦笑する。
仙界育ちのおっとりとしたお姫様ということで、最初はかなり心配したけれど。
本人が言う通り、周りが驚くほど武術の腕も術力も高かった。
微笑で敵を魅了する特技「鈴花笑」といい、敵を倒す技でありながら魅惑の渕に追いやる「二竜剣」といい、実に彼女らしい。
恐らくは、楊センと共にありたいがため。彼女なりに、役に立てるよう努力してきたのだろう。
あんなに慕ってくれる人がいることを、うらやましく思う。
美しくて優しくて、自分だけを見てくれる……。
どうして、楊センは、そんな彼女から逃げてしまうのだろう?
許婚だという公主が現われて以来、避けてばかりいる楊センが不思議だった。
公主の姿が視界から消えた時、傍らで草を食んでいた羊が突然、姿を変えた。
「ふう、行きましたね」
「ああっ、楊セン殿!」
いつもながら、見事な変化だ。しかし……。
「公主はあんなに慕ってらっしゃるのに。ちょっと冷たいのではありませんか?」
「……あなたがそれを言いますか、太公望殿」
「え?」
嬋玉と白鶴のことを言っているのだが、肝心の太公望は分かっていない。
楊センは肩をすくめる。
「いえ、気になさらないで結構。そのうちに分かりますよ」
「??」
「別に私は公主を嫌っているのではありません。ただ、私は一人でいるのが向いているだけで……まずいっ」
「楊セン殿?」
また目の前で、楊センの姿が変わった。
今度は小さい白兎だった。
だが、一瞬遅かったらしい。
戻ってきた公主は、白兎に向かってにっこりと笑った。
「あら、楊セン様、今日は兎さんですの?」
素早い小動物となって走っていく楊センに向けて、公主は宝貝をかざす。
「霧露乾坤網!」
中空にぱっと開いた蜘蛛の巣のような美しい網。
戦いの最中、それは霧の雨となって、仲間たちを回復させる。
だが今は……。
現われた形のまま、ばさりと地上に落ちた。
網にからめとられた白兎が、じたばたともがいている。
「あの……公主……霧露乾坤網って、そういう技じゃ……」
「何かおっしゃいまして?」
にっこりと振り返られては、もう何も言えない。
「いえ、別に……」
「さ、楊セン様、今日は街へのお買い物にお付き合いくださいましね」
「▽◎〜∞§◆☆!!」
太公望は、姫君が嬉々として、獲物を捕らえた網ごとずるずる引きずっていくのを、ただ呆然と見送るばかり。
楊センが逃げる理由が、ようやく分かったような気がした。

END


鈴花笑。
竜吉公主の特技。隣接した敵を魅了する。

二竜剣。
竜吉公主の武器。敵を恍惚の夢の中に陥れる剣。

霧露乾坤網。
広範囲の味方を回復する慈雨を降らせる蜘蛛の巣のような網。


光栄封神に出てくる女性って、どうしてこうパワフルなんでしょうね。
エンディングで、ヒロインから逃げていく主人公なんて初めて見ました(笑)。
そういえば、妲妃もそんなタイプ?
封神演義2の彼女もそうなのかなぁ……(苦笑)。


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