別離


それは蛇のような目をした男だった。
妖魔や仙人とは違う、異国の邪神と呼ばれる存在。
今まで会った中で最強の敵だった。
そして、最悪の。
腕は互角。しかし、仕掛けて来る執拗な技は、相討ちに持ちこむのが精一杯だった。
人間であれば致命傷となる傷を負って、邪神は逃げた。
再びこの地に現れることを誓って。
「天化!」」
「ちくしょう、あの野郎――」
わき腹を押さえてその場に膝をついた天化に、太公望が駆け寄る。
「今、回復を……」
「いらねぇよ」
術をかけようと伸ばした手を、天化は捕えてさえぎった。
「だって、こんなに血が……」
「もう無駄だからいらねぇって。ヤツの爪がこんなに鋭かったとはな、俺としたことが油断した」
「何を――っ!?」
血に染まって赤黒く見えた部分。
押さえているところには、何もなかった。
鋭い鉤爪にえぐられて、腹腔が無残な空洞となっている。
――術は本人の身体の機能を助け、回復を早める。
だが、なくなった部分を補うことはできない。
それをできるのは、代用できる宝貝を操ることのできる大仙クラスの者だけだ。
自分には何も出来ない。このままでは――。
身体が震え始めた。
「道徳真君様を……」
「間に合わねぇよ。それに、こんな怪我人置いて行くつもりか?」
「だって、このままじゃ……」
「いいから。最期まで傍にいろ」
冷酷に告げられる、残り少ない時間を示唆した言葉。
何故こんなに落ちついていられるのだろう。
……もう触れることも、話すこともできなくなるというのに。
痛みだけでも止めようと、術をかけようとするのだが声が出ない。
「いいって。神経やられたらしい、痛みは感じないんだ。……なぁ、なんか話してくれ。時間がもったいないだろ?」
天化はずるい。こんな時ばかり優しい。
「天化……」
「ちくしょう、もう少し一人占めできると思ったんだがな」
自嘲ぎみに呟いて、太公望の髪を梳く。
「嫌だ……死なないでくれ、天化!」
「無茶言うなって。――でも、お前がわがまま言うなんて珍しいよな。どんな顔してるのか見たかったぜ」
確かに視線はこちらを向いているのに。
もう目が……見えてない?
伝えたいことはたくさんあるのに、言葉が出てこない。
こんなに急に別れることになるなど思ってもみなかった。
ちょっとした言い争いや、他愛のない笑いを繰り返しながら、これからもずっと過ごしていけると信じていた。
信じたかった。避けられない天命があると分かってはいても。
……少し離れたところでは、あの蛇の邪神に呼び出された妖魔たちが、こちらを伺っている。
今はまだ、天化の鋭い気に押されて、一匹も動こうとしない。
天化が意識を手離せば、一斉に襲いかかってくるだろう。自分ではあれだけの数を防ぐことなどできない。
――スグ、ソバニイケル。
そう思ったのに。
「お前は……生きろよ」
「……!!」
なんて優しくて残酷な言葉。
かすめた唇は血の味がした。
「あんな連中に、指一本触らせねぇ」
「天化……?」
「朱雀――」
低い声が、南の聖なる獣を呼んだ。
四神を呼び出すには、寄代が要る。
莫邪宝剣は、あの邪神と戦った時に取り落としてしまったはず。一体どうやって呼び出そうと言うのか。
「炎の鳥よ、俺に降りろ!」
「天化、やめてくれ!」
炎の翼が天から舞い降りる。
今まで何度となく自分を救ってくれた真紅の鳥。
それは、今まで見た中で一番鮮やかで、美しかった。
叩きつけるように大地に降り、炎の渦を巻き上げる。
凄まじい風に、目を開けていられない――!

ようやく我に返った時……そこは、何もなくなっていた。
命と引き換えた朱雀は、全てを焦土に変えていた。
残されたのは、焼け爛れた大地。
山の樹木と、邪神に呼び出されて集まっていた妖魔たちを道連れに。
この手に抱きしめていたはずの人さえも奪い去って。
代わりに懐かしい気配の光が、ふわりと傍らに寄り添った。
器を失った魂魄。
どくん、と鼓動が乱れる。
封じなくては。
それが、自分の使命。天に定められた自分の仕事。
封神榜に名のある者は、自分が導かなくては行き先に迷う。
このままでは、天化が再び器を手に入れる機会を失ってしまう。
打神鞭を取り出し、震える声で叫ぶ。
「――封神!」
これで封神計画は終わる。
けれど、これで本当に天化は自分の傍らから消えてしまう。
(イカナイデ――)
本当は、叫びたかった言葉。たった一人だけでいい、自分から奪わないで欲しかった。
(――必ず見つける)
光が鋭く瞬いて消える前に、確かに声が聞こえた。
その光が消えた辺りを呆然と見守っていた太公望は、辺りが暗くなり始めて、ようやく立ちあがった。
戦いの最中に見失った、莫邪宝剣を探す。
あの剣なら、きっと痛みもなく事切れさせてくれるに違いない。
だが、どこにも見当たらない。
あの仙界の剣が、朱雀で消えるわけもないのに。
天化が携えて行ったのだろうか?
見つかったのは、翠碧の鱗に覆われた鞘だけだった。
拾い上げて、呟く。
「ひどいや、後を追うことも許してくれないのかい?」
泣きたいのに、涙が出なかった。
本当に哀しい時、心が凍って涙すら出なくなるのだと初めて知った。
妖魔大戦から常に傍らにいてくれた人は、手の届かない場所に行ってしまった。
自分は生きている。
生きて息をして、動いてはいる。
けれど、これからどこへ行けばいいのかも分からない。
先に進めば、何か見つかるのだろうか?

太公望は当てもなく、鞘を抱きしめたまま歩き始めた。

*

あれから、どのくらい一人でさまよったのか。
答えが見つからないまま、笑うことも、話すことも、忘れて。
「――嘘つき。見つけてくれるって言ったのに」
今、どこの次元の狭間にいるかも分からない人に、呟いてみる。
封神計画は終わったが、神界が、いつ、どこにできるのか、それすらも分からない。
もしかしたら、天帝や仙人たちが神界作りのことを思い出すのは百年後かもしれない。
それでは、一生かかっても、探している人に会うことなどできない。
「もう疲れた……少しくらい、休んでもいいだろう?」
いらえがあるはずもないと分かっていても。
つい傍らに尋ねてしまう。
――昔のように。
ふと、彼の言葉を思い出した。
(お前は方向オンチなんだから、じっとしてろ。かえって見つかり難くなる!)
怒ったような声。
そのしぐさ、皮肉げな笑みまで鮮やかに蘇る。
「……やだなぁ、忘れてた。動くなって言われてたんだっけ。それなのに、こんなにうろうろしてしまって」
久しぶりに、微かに笑う。
「ごめん、もう動かない。待っているから……早く見つけてくれ――」
静かに最期の息を吐いて、目を閉じる。
もう迷わない。
呼んでくれる声が聞こえるまでもう目を開かない。
いつか見つけてくれると信じている。
約束してくれたのだから――。

次の瞬間、その場に残されていたのは、鮮やかな紫紺の宝玉だった。

宝玉は人の手から手に渡り、遥かな地へと運ばれた。
その紫紺の輝きは、どんなに時が経っても褪せることなく。

そして――再会を願った人と巡り合うまで、千八百年の時を数えることになる。


END


とうとうやってしまいました、天化封神。
「西遊記」の話を書いているのですから、いつかは書こうと思っていたのですが。
(やるなら若いうちに封神しておかないと(笑) ……歳取るのだろうか、彼ら。

天化と相討ちになった邪神はマハラカです。
「西遊記」の天界での戦いで再び剣を交え、十六年後に悪夢でまた邂逅。
小説の「幻妖草子・西遊記」でちょいと書かれていた、マハラカに対してすごく怒ってるっていうのとひっかけてみました。
ちょっとほろりとしてくれたら、嬉しいです。


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