「紅珊瑚」


剣を軽くかわされ、直後に容赦ない一撃を食らった。
崖から落ち、遥か下の海面に突っ込む。
下が岩場でないことは分かってやっているのだろうが……道徳師匠も容赦がない。
危うく海底にぶつかりそうになって、天化はあわてて方向を変えた。
海面に向かおうとした時、目の端に柔らかい紅色が映った。
(……珊瑚か)
魚にかじられたのか、掌くらいの大きさで折れている。
宝物が山ほどあった黄家では、それほど珍しいものではなかったが。
天化は、海の中に育つ枝を拾い上げた。

ようやく水から上がった弟子に、道徳真君が声をかける。
「よーし、今日はここまで……って、お前、何を持っているんだ?」
後ろ手に隠していたのを、目ざとく見つけられた。
別に悪いことをしているわけではないのだが、ちょっと決まり悪い。
「いえ、別に……」
「んん?」
覗きこまれると、さすがに隠しようがない。
「ほお、珊瑚か。誰に上げるんだ?」
「えっ、いや、これは――」
「お前はこういうモノを持っている趣味はないだろう?」
「う……」
「ちゃんと結果報告しろよ。それじゃ、思いきって玉砕してこい!」
「だから、そんなんじゃありませんってばーーっ!」
何か勘違いした師匠の笑い声に向かって叫ぶ。
その姿が見えなくなって、天化はずぶ濡れのまま溜息をついた。
隣で、心配そうに玉麒麟が小さく鳴いた。

**

太公望は、ここのところ、少し調子が悪かった。
体調が悪いわけではないのだが、新しく習った術がうまく使いこなせない。
教えられたことをうまくできないと、ここにいる資格なんてない。
そんな風に焦る心が、さらに自分を追い詰めていると分かってはいた。
元始天尊様は、ゆっくりやればいいと言ってくれたが。

それでも、今日は少しだけ気が楽だった。
水行に来ている小さな滝。
顔も知らない人との、言葉だけのやりとり。
白鶴にも秘密の、仙界で唯一の友達。
……相手は、そうは思っていないかもしれないけれど。
いつも何かしら書かれている砂地に、代わりにきれいな色の物が置かれていた。
「……?」
小枝のようだった。
けれど柔らかな桃色。こんな色の植物は見たことがない。
手触りは固い。
硬質な響き。
石のような、植物のような。
不思議な物を手にとって、つくづくと眺める。
その暖かい色は、手触りの冷たさとは逆に心を温めてくれるようで。
気づかないうちに、口元に忘れかけていた微笑みが浮かんでいた。

「ししょー、お帰りなさい! あれ、何かいいことあった?」
「え、どうして?」
玉虚宮に戻るなり、いきなり白鶴に尋ねられて驚く。
「なんだか嬉しそうな顔してるもの」
「うん、新しい術がうまくいったから」
「そっか、良かったね! 本当にししょーって、飲み込みが早いよね。元始天尊様もびっくりしてるよ。――何持ってるの?」
遠慮のない少女には隠し事ができない。
「わぁ、珊瑚だ! 綺麗!」
「珊瑚?」
「そうよ、海の中で取れるの」
「――海では植物って、石になるのかい?」
「違うよ、珊瑚はね、植物じゃなくて、虫よ」
「虫? 虫が、水の中で石になるの?」
植物のような姿なだけでも不思議なのに、それが本当は虫?
世界って本当に広い。識らないことが一杯ある。
「海でしか取れない貴重なものだから、人間界では価値が高いの。それに、珊瑚は持っている人を守る、魔避けの力もあるんだから」
「ふーん……」
「で、それ、誰にもらったの? この辺りじゃ手に入らないよ?」
「……な、内緒!」
別に悪いことをしているわけではないのだけど。
秘密の友達のことは、白鶴にも教えたくなくて。
部屋に戻った太公望は、一番綺麗に見えるように、珊瑚を枕元に飾った。
そして、今度行く時には何をお返しに置こうかと、色々考えながら眠りについた。

****

「何、ニヤニヤしてるんだ、気味悪いな」
「ん、ちょっと昔のこと思い出して」
太公望が手にしているのは、鮮やかな紅の珊瑚のカケラだった。
「さっきの村でね、薬のお礼にってくれたんだ。この辺って海が近いんだね。……見てみたいなぁ」
「見たことないのか?」
「天化はあるのかい?」
「そりゃな、親父に連れられて沿岸の国へ行ったこともあるし、うちの師匠は周りを気にしなくていいからって海で宝貝使うのが好きだったし」
「そうか」
見てみたいな、とまた繰り返す。
けれど、大将が本陣からそうそう離れるわけにもいかない。
最初からあきらめている様子に、天化はちょっと苛つく。
「……ここからなら、そう遠くはない。行ってみるか?」
「ホントかい?」
ぱっと笑顔になったのを振り返りもせず、天化は玉麒麟を呼んだ。

***

「なんだか、不思議な匂いがする」
「潮の匂いだろ。海は塩水だ」
「それに、すごい青。なんて広い……」
浜に打ち寄せる波や、海鳥の鳴き声の大きさにいちいち驚きながら、太公望は岩場の潮溜まりに手を入れた。
そして……
「おい!?」
「しょっぱ〜っ」
「いきなり飲むヤツがあるか!!」
「塩水とは聞いていたけど、こんなに濃いなんて……」
「……身に染みただろ、このボケ。ほれ、真水!」
「ありがと」
投げられた皮袋の水を飲んで、ようやく一息。
「なんで、海って塩辛いんだろう」
無邪気なまでの問いに、絶句する天化。
そういうことは、黄家の教師たちは教えてくれなかった。
「そりゃ……海だから」
「答えになってない」
「んなことは、元始天尊様にでも聞いてくれ」
「……あの人なら知ってるかな」
「あ?」
「なんでもない」
昔のことは、天化にも内緒だ。

――いつか会えますように。

太公望はこっそり呟いて、手にしていた珊瑚のカケラを、海に返した。

END


天化さん、昔のことまだ内緒です。
誤魔化せば誤魔化すほど、後が怖いとは分かっていても……今更、言えない(笑)。

【珊瑚】
暖かい海の水深100m以上の深海で、枝状に群体となって生活しているサンゴ虫が化石となったもの。
赤は身体を強く保ち、想像力と実行力を与える。
ピンクは純愛、忠誠、優しさの象徴。
白は奉仕的で、犠牲的な優しさを表す。


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