七宝


窓の下に、見覚えのあるものが落ちていた。
青い小さな袋。
見なくても分かる。中には、金木犀の花が入っているはず。
自分のものを落としたのかと思い、慌てて懐を探る。
小物をまとめた皮袋の中に、必要最低限の金子や薬に混じって、それはあった。
……自分のではない。
ほっとして、落ちていた方を拾い上げる。
さすがに布は色褪せているが、鮮やかな金木犀の香り。毎年、マメに新しい花を入れていたのだろう。
自分のはとうに匂いなどなくなっている。
後ろから、ぱたぱたと軽い足音が響いた。
「天化!」
あわてて、片方を隠す。
「この辺に、匂い袋落ちてなかった?」
今まで屋敷中を捜していたのか。息を切らせて、必死な顔で尋ねる太公望。
「こいつか?」
投げてやると、今までの泣きそうな顔が、ぱっと笑顔になった。
……単純なヤツ。
「そんなに大事なものなら、落とすんじゃねぇよ」
「うん、ごめん。よかった――あれ?」
受け取った太公望の嬉しそうな表情が、ふいに変わった。
「あの……いや、なんでもない」
なにか聞きたそうな顔。
半ば上の空で礼を言うなり、さっきよりもさらに悲しそうな表情で、きょろきょろしながらその場から駆け出していく。
まだ何か探しているのか。
その姿が見えなくなった後、残された方の袋に触れて、天化はその理由に気づいた。
(……やばい、間違えた)
自分の持っていた方には、花しか入っていなかった。
今手にしている方には、何か堅いものが入っている。
こっちが、アイツのものだ。
袋を開いてみると、金木犀の鮮やかな香りの中に、淡い桃色の欠片があった。
珊瑚だ。
なんでこんなもの……と考えて、思い当たる。
そういえば、昔そんなことがあった。
あの頃は、相手がどんな人間なのか残された文字でしか判断できず、てっきり幼い童子だと思い込んでいた。
何か落ち込んでいるらしい時に、気に入りそうな果物や小物を置いた覚えがある。
珊瑚はその一つ。
匂い袋は、その返礼。
その時の珊瑚は、枝のようになっている、そこそこ立派なものだった。その欠片を持ち歩いていたということか。
過去のすれ違いをそこまで大事にされて面映いような、いまだに気づかれていないことが情けないような。
……どうやってヤツの手元に戻すか。
ただ渡しただけではもう一つは誰のものかと突っ込まれてしまう。
(今更バレてたまるか)
こうなると、こっちも意地だった。

*

がっくりと肩を落として、太公望は元の窓辺に戻っていた。
心当たりは全て探したのに、見つからない。
匂い袋はあったのに、中のものがなくなっているなんて。
落とした時にそれだけ外に飛び出してしまったのか。
それとも、誰かが中身だけ持っていってしまったのか。
淡い紅の珊瑚。
それがかなり高価なものであると知ったのはつい最近のことだ。
けれど、持っていたのはほんの欠片で、売れるほどのものではない。
加工すれば耳飾りくらいにはできるだろうが。
しかし、拾い物を隠してしまうような人はこの屋敷にはいないと思う。
ここでは、一番位が低いと思われる女官でさえ、良い仕立ての品のいい服を身に付けている。
いまや周一の豪族である黄家の名は伊達ではない。
それでは、ほんの欠片だったので、あっけなく捨てられてしまったとか。
こちらの方が有り得そうだ。
だとしたら、もう見つからないかもしれない。
「どうしよう……」
なくなったからといって、別に不都合があるわけでもないけれど。
長年お守り代わりにしていたものがなくなってしまったというのは、ひどく寂しい。
仙道を目指す者は、物に執着してはいけないと分かってはいても。。
もう一度、太公望は大きく溜息をついた。

**

「兄上、一体何やっているんです?」
「いや、その……」
天祥に、あきれたように尋ねられて、口篭もる。
「この間から、太公望さんの後ついて回ってるでしょう。用があるんでしょう? 呼んで来ましょうか?」
「呼ばんでいい、呼ぶな!!」
「変な兄上……」
天祥に、思いきり不審そうに見られたが、下手に言い訳もできない。
あれ以来、こっそり返そうと思っているのに、太公望は匂い袋を肌身離さず持ち歩いているらしく、なかなかきっかけがつかめない。
(……ったく、風呂入る時くらい、服と一緒に置いておけばいいだろうが。なんだって、そんなに気を使って……あ)

そんなに大事なものなら、落とすんじゃねぇよ。

そう言ったのは、自分だったか。
珊瑚だけがなくなったので、太公望なりに用心しているに違いない。
何か方法は……
(そうだ、仙界に行くと、あいついつも禊(みそぎ)してたよな)
さすがに仙界での水浴びなら、服と一緒において置くだろう。
明日こそは本人の元に戻してやる。
決心して、天化は太公望を探した。

***

本当は仙界で立ち寄る場所などどこでもよかったのだが。
玉虚宮に行ってみると、案の定、白鶴の容赦ない宝貝修行につきあわされた。
しかも太公望がいるものだから、いつもより倍くらい気合が入っていた気がする。
よく無事だったような……。
「いくら修行でもやりすぎだよ。ぼろぼろじゃないか」
あきれ顔の太公望。
(おめーのところの嬢ちゃんの仕業なんだけどな、オイ)
言い返したいが、あんな小娘にやられたのは自分なので、黙っておく。
傷の手当てをするために呼ばれた室は、太公望がここにいた時に使っていた部屋らしい。
窓辺にきちんと並べられた小さな宝物が、日差しを受けてきらきらと輝いている。
「なんだよ、これ」
太公望は、今まで見たこともない、照れたような嬉しそうな表情になった。
「修行中に、水行で使った水場ですれ違う人がいてね。色々もらったんだ」
珊瑚、真珠、しゃこ貝、瑪瑙、砂銀。
そういえば、何かを置くと必ず何かが返されたので、だんだんエスカレートしたのだった。
自分にとっては、別に珍しくも、手放して惜しくもない品々。
まさか、こんなに大切にしていたとは。
どれも、ほこり一つつかずに煌いている。
小さいながら、見事な枝を広げている珊瑚は、一箇所だけ欠けていた。
それは、今自分の懐にある。
――面白くない。
たとえ、相手が過去の自分でも、こいつが気づいていない以上、他のヤツにもらったものを後生大事にしているのと同じだ。
もっと話したそうなのをわざと無視して、さっさと宮を出る。
「この辺り、水場があったよな。ちょっと寄っていこうぜ」
「え……」
太公望の顔色が変わった。
不安そうな表情が、天化が目指す方向にまさかという疑いに代わり、ついに慌てたのと怒ったのが混じった非常に不機嫌な顔になっていた。
「ここは、だめだ」
太公望が、立ちふさがって行く手をさえぎる。
「なんでだよ。別に玉虚宮専用じゃねぇだろ?」
「僕にとっては大切な場所なんだ。だから……」
「へぇ?」
「天化、止めてくれっ!」
止めるのに構わず、天化は茂みを分けて、近くなった水音に向かう。
……昔は、この泉はもっと大きい気がしたのだが。
今は、えらくこじんまりした小さな水場に見える。

数年ぶりに、二人は修行時代に水行に利用した小さな滝に辿りついた。

****

誤算だった。
太公望はそれはもう、かんかんに怒っていた。
大切な思い出の場所に踏み込まれたことを。
砂地に坐りこみ、背を向けたまま、振り返りもしない。
……まさか、こんなに怒るとは。
これでは禊を兼ねた水浴びなど、するわけもない。
一刻近く完全に無視されて、天化も苛々してきた。
なんで自分がこんなに気を使わないといけないのだ?
元はと言えば、未だに気づかないこの大ボケ野郎が悪い。
そう思った途端、とうとう忍耐が切れた。
真後ろに坐り、砂地に例の珊瑚の欠片を置く。
ついでに、手荒く書いて背を向ける。

イ尓太慢呑呑(お前、鈍すぎ)

太公望が降り返った気配。
沈黙が重い。
背中に、視線を感じる。
……思いきり、後悔。やはり、早まったか。
しかし、もう遅い。こうなったら開き直るしかない。

在一定程度上請察覚(いい加減、気づけ)

手だけ伸ばして、文字の隣辺りに追加する。
再び、沈黙。
しばらくして、砂地を消して、何か書いている音がした。
振り返ってみると、太公望はまたあさっての方を向いている。
珊瑚はなくなっていた。
砂には几帳面に書かれた新しい文字。

那是太坏(あんまりだ)

どうやら、さすがに分かったようだ。
怒ってる、怒ってる。

我抱歉(悪かったよ)

しばらく迷ってから書くと、待ち構えていたのか、すかさず隣に書かれた。

气死我了(めちゃむかつく)

它必要地没有欺騙(だましてたわけじゃないって)

饒不了イ尓(絶対許さないっ)

もう、お互い正面を向いているのに、目を合わせずに砂地に書き合う。
他人が見たら、あきれて溜息をつきそうなバカバカしいやりとりは、日が暮れて文字が読めなくなるまで続いていたらしい。

END

えー、今回のテーマは
「ケンカして、隣にいるのに携帯電話のメールでやりとりしているバカップル」(笑)
これで、修行中のすれ違い編も終了です(^_^;
最後のところは、「セリフなしでの会話」を狙ってみました。

最後の文字は
「我希望遇見イ尓(会いたかった)」
で〆。

七宝は金、銀、瑠璃、めのう、しゃこ、真珠、珊瑚のこと。
何故ここでは六つかというと、七つ目は天化さんなわけです(笑)。


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