「梛(なぎ)」


噛み付こうとした時には、すでに背後に回られていた。
手にした剣で切られると思ったが、予想外に刃は下りてこない。
もう一度襲いかかったが、軽くかわされた。
首を押さえられると、もう動けなかった。
――だめだ、こいつには敵わない。
「気に入った。お前、俺の使役になれ」
天界の神将、炳霊公。
今まで何もかもを切り裂いてきた牙を恐れもせず、ニヤリ言ってのける相手に、自分は生まれて初めて負けを認めた。

*

「随分大きな獲物ですねぇ」
「『猫』が必要だったんでな、使役にした」
「使役ですか。……よかった、それなら食べ物の心配はいりませんね。こいつ大食らいそうですから、どうしようかと思いました」
にこにこと、茶色の耳を覗かせたままの狐の化身らしい奴が言う。
神将の使役となる霊獣は、契約を交わすことで、その神気を食うようになる。
神将が生きている限り、何も食べなくていい。寿命も同じだけ得る。
しかし、今まで、食うのが楽しみで戦ってきたのに。
これから暇になりそうだ。
「名前は?」
そんなもん、あるわけない。
「馬腹じゃだめか?」
「それは種族名でしょう。私をキツネと呼ぶのと同じですよ」
「マオルはマオル(猫)って呼んでるけどな」
「……まぁ、あの子は例外ですから」
「名前ねぇ……」
炳霊公は面倒くさそうにしばらく考え、ふと手を打った。
「梛(なぎ)ってのはどうだ」
「縁を司る霊樹ですね。どうだい、新入り君?」
(勝手にしろ)

その日から、自分は梛と呼ばれるようになった。

*

自分を使役にしたあの神将はともかく、他の奴には強さを誇示しておかないと。
とりあえず、この宮にいる者たちは、叩きのめしておくか。
まずは、炳霊公の側近らしい、星辰と呼ばれていたあの狐だ。
霊力は高いようだが、耳も尻尾も隠せないようなハンパな人化の術しか使えない奴など、恐れるに足りん。
一人になったところを、後ろから襲い掛かる。
だが。
「天狐の僕に挑戦しようなんて、いい度胸だね」
振り返った奴は、笑顔で呪を唱えた。雷撃に叩きのめされる。
天狐……天狐だと?
仙狐の中でも最高位の。
こいつが!?
(なんで、そんな奴が、こんな宮で雑用しているんだ!)
「天化様が好きだからだよ」
当然のように言い放つと、もう一度雷撃が傍らに落ちた。
変わらない笑顔が怖い。
こいつには逆らうまいと、心に誓った。

*

仕方が無い。
それでは、能天気な猫娘の方を……。
ところが。
「あたしに勝とうなんて一万年早くてよ!!」
顔につけられた引っかき傷は当分消えそうに無い。
なんなんだ、ここの連中は……。
2000年近く生きてきて、負け知らずだった自分がまったく歯が立たないなんて。
(な、なんで完全な人形にもなれない連中に、こんな力があるんだ……)
悔し紛れに喚くと、猫娘は偉そうに胸をそらした。
「お生憎様。人形になれないんじゃなくて、ならないの。天化様がこの姿の方を好むからよ。楽な姿で好いてもらえるなんて嬉しいじゃない」
分からない。
(信じられない。これだけの力を持ちながら、他人の配下に甘んじているんなんて)
「あら、好きだからよ。当然でしょう?」
『好き』?
それが分かったら、もしかしたら、理解できるのだろうか。
とりあえず、こいつにも逆らわない方が良さそうだ……。

*

その日、最後に会ったのは、えらく細っこい人間だった。
もしやこいつも……と思ったが、これは今までの連中とは違う。
霊力は高いようだが、それは攻撃には向いていない。
「大きな虎さんですね」
「虎じゃない。馬腹という妖獣だ」
妖気も読めない本当にただの人間だ。
……こいつなら、勝てる!
とことこと近寄ってくるなり、『弱そうなの』はいきなり抱きついてきた。
「うわぁ、ふかふか」
いい匂いがする。
よし、いただき……
口を大きく開いた途端、上下左右から、牙を掴まれた。
「「「な〜ぎ〜(怒)」」」
炳霊公、星辰、マオル……周りから怒りの霊光が漂ってくる。
よく分からないが、これを食うと、こいつらは怒るらしい。
こいつらは、この『弱いの』が『好き』なのか?
仕方が無い、あきらめよう。
この調子では、顎がはずれそうだ。
この宮で一番弱いのはこいつだ。
自分じゃない。
それで我慢することにしよう。
「?」
自分が食われる寸前だったことも気づかずに、『弱いの』は自分を抱きしめたまま、にこにこと笑っていた。

*

あんまり暇なので、『弱いの』の騎獣の真似事をするようになった。
炳霊公の騎獣のように、空を飛べるわけでも、千里を駆けるわけでもないが、『弱いの』にとっては十分らしい。
こいつの笑い声はくすぐったい。
耳の間を撫でられたり、毛を梳かれるのは気持ちがいい。
こいつが動いているのを見ているのは面白い。
これが『好き』ということなのだろうか。
まだよく分からないが……不快じゃないから、いい。

*

ある日、突然『弱いの』がいなくなった。
探しても、どこにもいない。
匂いだけが、頂きに新しく作られた祠からかすかに漂っている。
ここにいるはずなのに。
消えてしまった。
もうどこにもいない。
まるで、昔、自分が食べてしまった獲物のように。

苦しい。
こんな思いは知らない。
このまま起きているのは耐えられない。

もう誰も、起こすな。
あいつ以外は――。

*

「なぎ……梛――」
呼ぶ声。
「僕が分かるかい?」
待ちつづけていた、あの声。
『弱いの』だ。
あの甘い匂い。
「覚えていてくれたんだ、良かった」
変わらない笑顔。
あれは眠っている間の夢だったのだろうか。
『弱いの』はここにいる。
だから、もういい。
自分はこいつのそばにいる。
これからは、もう離れない。
前と変わらず、毛を梳いてくれる優しい手。
我知らず、喉がぐるぐると鳴る。
これがきっと、『好き』ということなのだ。
「梛はいい子だね。誰かさんと違って」
「どういう意味だよ、おい」
「この間、下界に降りた時、桜の花精と会ってただろう」
「う……な、なんでお前がそれを知って……」
「へぇ、本当だったんだ」
「あ、いや、その――」
「天誅!」
「ぎゃーっ!」

……おや?

『弱いの』はいつの間にか、炳霊公より強くなっているようだ。
『弱いの』が今は『最強』?
ということは、自分は……。
まぁ、どうでもいい。
――ということにしておこう。

END


炳霊公のところの側近は昔なじみばかりです(^_^;
馬腹の梛は、「変若水」。
天狐の星辰は、「狐の嫁入り」。
猫のマオルは「猫鬼」。
オリジナルキャラも、すっかり増えましたにゃー。

なぎ 【梛】

マキ科の常緑高木。高さ20メートルに達する。暖地の山中に自生、また庭木とされる。葉は対生し、楕円形で革質、多数の平行脈がある。雌雄異株。五、六月開花。果実は球形で、晩秋、白粉を帯びた青色に熟す。古くから神社の境内に植えられ、熊野神社では神木とされ、その葉に供物を盛る。また、その葉が切れにくいことから、男女間の縁が切れないように、女性が葉を鏡の裏に入れる習俗があった。ナギノキ。力柴。漢名、竹柏。

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