我愛イ尓
(たまには、見回りに行くか)
珍しく、炳霊公は治める三山の一つ、文官の集う瀛州(えいしゅう)へ向かった。
(別にあいつに言われたからじゃないぞ、うん)
蓬莱・方丈・瀛州の三山を治めて1800年。
部下たちの能力が高いと、つい任せきりになってしまう。もちろん、それで問題が起こったことすらないのだが。
「あ、炳霊公様!?」
「よう、変わりないか?」
宮に入った瞬間。
一斉に笑いと拍手が起こった。
何事かと驚いていると、文官たちに囲まれていた者が、振り返ってにこりと笑った。
「なんでお前がここにいるんだよ!」
「お手伝いだよ。なんか悪い?」
蓬莱の宮に置いてきたはずの、姜公だった。
「いやー、姜公殿、お見事です」
「本当に今日のうちに来られるとは……」
「天邪鬼な主のことですから、ニ、三日後だと思ったんですけどね」
「すっかり尻に敷かれてますな」
またどっと笑われる。
――どうやら、自分は賭けに使われていたらしい。
今朝、突然姜公が、たまには部下たちをねぎらいに行けとしつこく言っていた理由がようやく分かった。……操られた自分がちょっと悲しい。
「手伝いって……」
「資料の整理と、これからの行事の計画設定とか。アスラとの戦いで、混乱しまくってるからね、早く軌道に乗せないと」
「お前がそんなことしなくたって……」
「僕だって、何か役に立ちたいんだ。「尚」がマメに手伝っていてくれたおかげで、大体分かるし」
「姜公様のおかげで、書類が片付くこと、片付くこと。炳霊公様がサボっていた100年分くらい一気に終わりました」
「…………」
別にサボっていたわけではないのだが。
急ぎでない仕事は、つい後回しにしていたら、溜まってしまっただけで。
――いや、それがサボっていたと言うのか、もしかして。
「勝手にしろ!」
言葉は悪いが、炳霊公なりの了承。
それ以上何も言わずに、騎獣に乗って姿を消してしまう。
恐らく、もう一つの宮、方丈の見回りに行ったのだろう。
その姿を見送って、姜公は小さく溜息をついた。
(少しは役に立っているといいけど)
文官の仕事に関わっていると、東岳大帝の元へ行くことがある。大帝……つまり、泰山府を治める黄飛虎の元には、様々な出自の者が出入りしている。1800年前の大戦のことを知らないものも多い。
炳霊公の元に身を寄せている姜公のことを知らず、その存在を悪し様に言う者も確かにいるのだった。
……自分が罵られるだけなら構わない。けれど、そのことで炳霊公のことまで悪く言われるのは許せない。
名声や地位などに興味は無いけれど、今の自分ではその風評すら覆せない。
それで、少しずつ、手にする仕事を増やしていたのだが。
……まだ足りない。
炳霊公とつりあうような役職を持てれば、きっと口さがない者たちを黙らせられるのに。
たとえ、共にいられる時間が少し減ることになろうとも。
姜公は、その日、前から考え続けていたことを実行する決心をした。
*
そびえ立つような、大仰な門だった。
その厳重な警戒振りに驚いたものの、大きな戦いがあった後の、天界への入り口なのだから当然かと思い直す。
天界の文官に声をかけられて、その後に続こうとした時。
「太公望! 行くな!」
「……天化?」
門の向こうに、見慣れた姿があった。
こちらに駆け付けようとしていた神将に、衛兵たちが彼に槍をつきつけたのが見えた。
「天化!」
戻ろうとした目の前で、門が閉められる。
最後に目に入ったのは、炳霊公が無数の槍に囲まれているところだった。
「何をするんですか! 彼は三山の管理者ですよ!?」
「天界の規律を乱す者は、たとえ神将であろうと例外ではありません。まして、天界の門を破ろうとしたのです。当分謹慎処分を受けるでしょうね」
「そんな……」
自分のせいだ。
何も言わずに来たので、心配したに違いない。
早く観音殿に会って、用件を告げて戻ろう。
理由を話せば、きっと炳霊公も解放されるはず。
「まったく、往生際が悪い上に礼儀知らずですな、神将というヤツは。会えなくなるからといって、無理やり連れ戻そうなどとは」
「――え?」
会えなくなる……誰と?
「それは、どういう意味ですか」
「おや、だって当然でしょう。太公望殿は、前の大戦で功のあった方。神将ではなく、天界の文官として召されるに決まっています。天界と神界は先ほどの門で分かれていますからね。滅多なことでは開かれません。天界の神事がある、年に数度くらいです。神将と関わる必要もありませんから、二度とあやつと会うこともないでしょう」
束縛されていたとでも誤解されたのだろうか。安心なさい、とでも言いたげな言葉に姜公は蒼ざめる。
「そんな――」
もう……会えない?
思わず元来た道を駆け戻ろうとしたが、不思議な力で守られた回廊は、すでに壁となっていた。
もしかして、取り返しのつかないことをしてしまったのだろうか。
自分にできることを得ようと思っただけなのに。
神界で正式な職をもらって。
炳霊公と会っても、誰にも文句を言われないだけの仕事をして。
望んだのは、それだけだったのに。
天界での職に就かされるなど考えてもみなかった。
観音の前に進み出ながら、姜公は自分が罪人にでもなったような気分に陥っていた。
*
観音から直々に官職を拝領するに当たって、姜公は一度神界に戻ることを許された。
姜公の正式な神籍への登録と役職への任命の儀式に、炳霊公の蓬莱の宮が使われることになった。
たった数日空けただけなのに、懐かしい宮。
二郎神君、西王母、感応仙姑、玄壇真君、分水将軍、那咤太子……姜公と関わりのある、名だたる神将たちがずらりとそろっていた。
……炳霊公の姿は無い。
まだ謹慎が解けていないのか。
いや、宮を借りる以上、そんなことはないだろう。
それでは怒っているのか。
――当然だ。
勝手に宮を出て、自分から離れるような真似をしてしまった。
「姜公よ、そなたに新しい職務を与えます」
観音が重々しく告げる。
全身の血が冷える。
もう逃げられない。
もう――会えない。
息がつまる。
いっそ、このまま、事切れてしまえばいいのに。
居ると分かってるのに、顔も合わせられない日々を、この先何千年も過ごすくらいなら。
死の宣告を受けるかのように、観音の言葉を待つ。
――その目前に。
風を切って、白銀の刃が突き立った。
すわ、鬼神の乱入かと、天界の武人たちが身構える。
姜公と観音の間に割って入ったのは、炳霊公だった。
呼び戻した莫邪宝剣を手にし、切っ先を観音に向ける。
「き、貴様、反逆するつもりか!?」
「おい、お前たち! 早く取り押さえないか!!」
天界の側近たちが、神将たちに叫ぶ。
しかし、彼らは動こうとしなかった。
「オレたちに命令なんかするんじゃねぇよ」
「俺たちの仕事は妖魔と戦うことだろ?」
「あなた方も武人なら、ご自分たちで取り押さえればよいではありませんか」
皮肉たっぷりに言われて、あわてて自分たちの武器を構える衛兵たち。
しかし、炳霊公に睨まれるともう腰が引けている。
――常に戦いの場の最前線に身をおいてきた武神将とは、最初から格が違った。
「こいつは天界なんかに渡さない」
燃える炎のような霊気。
その剥き出しの敵意に驚きもせず、こほん、と観音は咳払いをした。
「炳霊公。落ち着いて先を聞きなさい」
「なんだと?」
「よいですか、姜公」
観音の言葉は、神籍を与えると同時に、逆らえない天命を与える。
聞いてしまえば、もう逃れられない。
もしも、姜公を束縛するようなことを言うつもりなら、いかに観音でも……。
炳霊公が莫邪を構える。
それを征するかのように、観音は早口で言い切った。
「神界の監査役を命じます」
炳霊公の手が止まった。
「は?」
少し間の抜けた声を出したのは、当の姜公だった。
「だから、監査。平たく言えば、ちゃんと仕事しているか見張り……ということです。最初の仕事は、三山の統括者の管理でしょうかね」
それは、つまり……
「こちらは部下がしっかりしているので成績はよいですが、どうもその分、トップの気が緩んでいるようです。もう、ビシバシしつけてやってください。ああ、ついでに炳霊公は、天界の門破りをしようとした上に、私に刃を向けたのですから、十年の謹慎を命じます。監査役の目の届かないところには絶対行かないように」
何か他に質問は? という口調に、炳霊公と姜公は声も無い。
「それでは頼みましたよ、姜公。彼らの暴走を食い止められるのは、お前しかいないようですから」
彼ら? 炳霊公一人のことではなくて?
観音の言葉に、姜公は混乱する。
呆然とする二人を置いて、観音と、その側近たちはそそくさと姿を消した。
正式な任命式にしては、前代未聞の終わり方だった。
残された古馴染みたちは、不機嫌そうに静まり返っていた。
きっと、いらぬ騒ぎを起こしそうになったので、怒っているに違いない。
天界の文官たちと神界の神将たちは、そりが合わないのか仲が悪い。この一件で、さらにその鬱積がたまってしまったに違いない。
皆、背を向けるようにして、目を合わせようとしない。
「あの……?」
恐る恐る声をかけようとして、姜公は、一様に彼らの肩が震えていることに気づいた。
「もーだめ、我慢できねぇ!」
仏頂面をしていた那咤が、いきなり叫んだ。
それを合図にしたかのように、神将たちが一斉にどっと笑い始めた。
宮を震わせるほどの爆笑。
感応仙姑や西王母までが、身を折って笑いこけている。
「え、な、何……?」
「お前らなぁ……」
状況を察した炳霊公が、額を押さえた。
「ひー、おっかしい、見たかよ、観音のあの顔!」
那咤が叫ぶ。
「必死こいて平然としてやがったけど、汗かいてたぜ!」
「あら。わたくしは、ご忠告申し上げただけですよ。……姜公殿を天界に閉じ込めたりしたら、今度は神将が反乱を起こすかもしれませんわ、って」
感応仙姑がにっこりと微笑む。
「俺は、帰り道に陣を張り巡らせておいたぜ。ぐるぐる回って、ちょーっと酔ったかもな。ついでに、ここの出口には大きな藁人形つるしといた」
兄の玄壇真君、趙公明が、堂々と言ってのける。
「僕は、僕の楽しみを減らすのなら、仕事を少しサボろうかなって言っただけなんだけどねぇ。……仲良くしているのを邪魔するのが楽しいんじゃないか、こういうのは」
四季を司るという大役を引き受けている分水将軍、申公豹が肩をすくめる。彼がヘソを曲げたら、世界が大変なことになる。
「私は、夜道にお気をつけ下さいとお伝えしましたが。……ああ、そういえば哮天犬が、私に内緒で遊びに行ったようですね」
一人平然とした顔で、二郎神君、楊センが微笑んだ。
「なんだよお前ら、こそこそやりやがって。オレなんか、昨日、観音の髪を火尖鎗で焼いてやったぜ」
那咤が、手にした宝貝を振り上げた。……そういえば、観音からかすかに焦げた匂いがしていたような気がする。
「皆さん、どうして……」
ぴたり、と笑いが止まった。
「だってよ、大将はオレたちの大将だろうが。せっかく戻ってきたのに、天界なんかに取られてたまるかよ!」
「俺たちは、あんたの泣き顔なんて見たくねーの」
「炳霊公に八つ当たりされるのもまっぴらだしね」
「神将は、天界に協力はしておりますが、元々、自分自身に従う者。誰に命じられるものでもありません。あなたもまた、そうであることをお忘れなく、姜公殿」
たとえ命じられても、言いなりになる必要などないのだ、と。
「わたくしたちは、たとえ天界を敵に回しても、貴方の味方ですわ」
「炳霊公は自分でなんとかしろよ」
「あのな……」
懐かしい、仲間たちの軽口。
昔と少しも変わらない。
姜公が嬉しさのあまりに涙ぐみ、周りが慌て始めたところに、狙ったように猫娘が飛び込んできた。
「おっ待たせー! たくさん食べてねー」
「仙酒もありますよ」
待ち構えていた蓬莱の宮の仙獣たちが、用意していたらしい食事や酒を運び込む。
「お、来た来た!」
「待ってました!」
どうやら最初から打ち合わせていたらしい。
知らぬは当人たちばかり。
異例の任命式は、あっというまに宴会に変わってしまった。
**
宮ではまだ神将たちの宴が続いている。
人をもてなすのが好きな仙獣たちは大喜びだ。
当分終わらないだろう。
その騒ぎから抜け、炳霊公は姜公の姿を探した。
人界を見下ろす山の頂きに、その姿があった。
振り返った姜公が、そのまま視線を外した。
「ごめん……」
「何を謝ってんだ」
「僕が余計なことをしたばっかりに、迷惑をかけた」
「……先延ばしにしていても、いつかは対峙しなきゃならなかったことだ。まさか、こういう結果になるとは思わなかったがな。――神界全体の監査役ってことは、俺や東岳大帝の上司になったわけだ。お前のことを悪く言っていた連中も、これで黙るだろうよ」
「気づいてたんだ」
「当たり前だろう? まぁ、あんな連中でも、親父のところの側近だから、放っておいたんだが……お前がそんなに気にしているとは思わなかった。さっさと締めておくべきだったな」
何気なく、物騒なことを言う。
「俺は、たまに会って慰め合うくらいなら、毎日ケンカしている方がいい」
「そうだね……僕もそう思う」
少しくらい共に居られる時間が減っても……と思ったのに、たった数日で思い知った。
懐かしい、温かい手。
焦ったばかりに、また失うところだった。
「我愛イ尓」
耳元で囁かれた言葉に、姜公が目を見開く。
「酔ってるね」
「酔ってない」
「酔ってる。だってそんなこと、一度も言ったことないじゃないか」
「言う機会が無かっただけだ。何度でも言ってやる」
「本当に?」
「我宣誓在莫邪。我愛イ尓」
「是我……」
もう二度と離れない。
二人だけの永遠の約束。
「ひっく」
……いいところだったのに。
いきなり、腕の中で、姜公が妙なしゃっくりをした。
忘れていた。
姜公は酒気に滅法弱い。
「嘘だろ……」
嘘だと信じたい。
しかし――
にっこりと悩殺の笑みを浮かべた姜公に見惚れた直後、炳霊公は1800年ぶりに封神されかけた。
END
時系列最後の話です。今度こそ!
(でも、まだ途中が書けます(笑))
よっしゃー、ハッピーエンド!
やっと我愛イ尓って言わせたし!(これだけ書いていて、一度も言ってなかった……)
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