星河
久しぶりに訪れた泰山府の回廊で、よくある光景にかち合った。
一人の若者を、少し年のいった文官たちが取り囲んでいる。
……出来が良く上司に可愛がられる新入りを、いじめる先輩方というところか。
申公豹がもっとも嫌うもの。
それは、実力も伴わないのに大言を吐く輩だ。
「君たち。口ばっかり動かしてないで、少しは頭を働かせたらどうなんだい」
「ぶ、分水将軍殿!」
「さっさと持ち場に行きたまえ。それとも、君たちはいなくても、なんの影響も無い程度の役職なのかい?」
皮肉たっぷりに言われ、泰山府の文官たちは、こそこそと逃げ出していく。
分水将軍は神界でもトップクラスの実力者。後から加わった文官などに、たちうちできる相手ではない。
「泰山府も人数が増えてきたら、質の悪いのが多くなったね、まったく。……おい、君も言われっぱなしになってないで、少しは言い返したまえ――」
こういうことは、言われる方も悪い。もう少し、そつなく立ち回ればいいものを。
自分のように実力で黙らせられるなら、別だけど。
矛先を、囲まれていた若いのに向けようとして、分水将軍は絶句した。
「太公望君!?」
見間違えるわけもない。
かつての妖魔との戦いで、人間界に下りた弟弟子。その世間知らずぶりと、軍師とは名ばかりの要領の悪さにイライラしたものだ。何が一番腹が立つかといえば、長年想い続けている女性が惚れた相手だったということだが。
かの大戦で消息を絶って1000年。とうに転生の流れに入って、普通の人間としての生を繰り返しているものだと思っていたのに。
「は! 君と分かっていたら、助けなかったのに! 一体、いつ舞い戻って来たんだい? 兄弟子に挨拶の一つも無いなんて、どういう了見だ、え、太公望君!」
「兄――あの、失礼ですが、貴方は……?」
文官たちから解放されて、ほっとしていた顔が、みるみるうろたえきった表情になった。今にも泣き出しそうな様子に、また腹が立つ。
「まさか、僕のことを知らないなんて言うつもりじゃないだろうね!」
「ご、ごめんなさい!」
奇妙な既視感。
初めて会ったときも、こんな会話を交わしたのではなかっただろうか。
確かに、あの太公望なのに。
そういえば、微妙に違和感がある。
見かけが若いのは転生なら当然としても、この必要以上に控えめな態度と口調。
世間知らずながら、桁外れの術力と仲間に支えられた自信が太公望にはあった。
霊力は高いようだが、『これ』では、ただの人間だ。
「……君は、『誰だ』?」
尋ねると、少年はまた少しほっとしたような表情に戻った。
「尚と申します。炳霊公様のところでお世話になっております」
かつての弟弟子の姿で、尚と名乗った少年は、少しの疑いもない笑顔で頭を下げた。
*
「分水将軍様は、水の流れを司っておられるんですね」
「春になれば氷を溶かし、夏には大河を潤し、秋には恵みの雨を降らせ、冬にはすべてを凍てつかせて自然を休ませる。短調な仕事だが、僕がやらないと四季が動かない」
凍りつく海、煌く大河、新緑の泉。
命の源である雫の集まるところは、彼の領分である。
あれから分水将軍は、蓬莱の宮の主の目を盗んで、何度か尚を連れ出していた。
そして、そのたびに実感する。
これは、『太公望』ではない。
真っ白で純粋な、ただの人間だ。
大切にされすぎて、あまりにも傷つきやすい、珠玉。
「分水将軍様は、人間界すべてを守っているんですね。素晴らしいです」
あの弟弟子が言ったのであれば、皮肉に聞こえたかもしれない、素直な賛辞。
誰かに感謝して欲しくてやっているわけではないけれど。
地上の人間たちに代わって口にされたような言葉が、耳に心地よい。
「僕は僕の仕事を誇りに思っているよ。……でも、一人だと退屈でね」
ずっと、言おうと思っていたことを切り出す。
「どうだい。君のためなら、星河の水だって操ってあげよう。――僕のところに来ないか?」
いくら待っても、炳霊公が振り返ることはないよ。
言外に、その意味をこめて。
けぶるような不思議な紫の目が動揺した。
叶わぬ想いに募る哀しみ。それでも、あきらめきれない辛さ。
自分なら、決してこんな目はさせないのに。
黙って、返事を待つ。
しかし、鋭い金気が辺りを切り裂いた。
「どういうつもりだ、申公豹!」
怒りに満ちた神気は、圧倒的な力だった。
普通の者なら、それだけで身動きすらできなくなるだろう。
「尚におかしな真似をしてみろ、分水将軍だろうが、叩き切ってくれる!」
容赦なく振り上げられる莫邪宝剣。
その太刀をかわし、懐に飛び込み、分水将軍は低く告げた。
「何年待ったって……あの子は、太公望君にはならないよ。君が一番よく分かっているだろう」
炳霊公の手が止まった。絶句して蒼ざめている。
「応えるつもりもないくせに、人を縛るんじゃない!」
それでも手放せない。
そんなことは分かっている。
分かっているからこそ、いつか起こる破局が想像できる。
「止めてください! 炳霊公様! 分水将軍様!」
……尚は、絶対に彼らを名前で呼ぼうとしない。
それは、自分は人間であり、彼らは神であるという引け目。
尚は、炳霊公を神としてしか見られない。
しかし、炳霊公は、その姿に自分と対等な『友人』を求めてしまう。
なんて皮肉なすれ違い。
きっといつか、破綻する。
それも、最悪な結果で。
「……泣くのは君だよ、尚」
「ごめんなさい、それでも僕は――」
どうして自分はいつもこうなのだろう。
泣き顔など見たくないのに。
その後、分水将軍が蓬莱の宮を訪れることはなかった。
ほんの少しのきっかけで、すぐに弾けてしまいそうなシャボン玉のような、ささやかな平和が少しでも長く続くことを、遠くから祈って。
――彼が、この時無理にでも攫っていかなかったことを悔やむのは、これより百年後のことになる。
**
あれから700年。
時が移ろい、大きな戦いを経ても、水の流れは変わることもなく。
何もかもが変わったようで、何も変わっていない。
そして今、永遠に失ったと思っていた笑顔が目の前にある。
――あの時のように。
「申公豹さん、ありがとうございました」
姜公が、深々と頭を下げた。
それは、予想外に彼が味方についたことに対する礼ではなかった。
「『尚』からの伝言です。本当に嬉しかった、ありがとうございます。――けれど、僕は後悔はしていません、と」
これは『姜公』。
『尚』ではない。
けれど、『尚』の気配を感じる。
『姜公』は『尚』とは別人であったけれど、確かに『尚』は『姜公』の一部なのだった。
「『尚』に伝えてくれたまえ。ここが嫌になったら、いつでも北海へおいでってね。――言っておくが、君はごめんだよ、太公望君」
昔と変わらない憎まれ口に、姜公が微笑む。
軽く会釈をして宮に戻っていく姿を見送り、分水将軍は肩をすくめた。
たとえ、それが自分に向けられたものではないとしても。
――君が笑顔でいるなら、それでいい。
「やれやれ、人の心ってのは、星河より操りにくいや」
そして、長年の相棒である白い虎に少しだけ八つ当たりした。
END
課題は「分水将軍×姜公もしくは、申公豹×太公望」
……ってのは絶対無理だったので。(ごめんなさい)
ウラ技使いました。
実は尚ちゃんって、最強?
「あの」申公豹すら魅了しちゃいました。
Mさん曰く、
「炳霊公と尚の関係って妻に先立たれた父子家庭みたいですね。お父さんが初恋の人ネタ。亡き愛妻の面影満々ですから男友達を連れて来た日にはちゃぶ台もひっくり返す勢いで」
いや、もう、そんまんま(笑)。
ちゃぶ台どころか、莫邪で切りかかってますヨ。
自分は応えられないけど、人には絶対やらないってヤツ。(すげー、わがまま)
【星河】天の川のこと。
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