西の最果て


「次はどっちに行くって?」
「南の……橡(ショウ)の町」
「そんなの、隣町じゃねぇか。もう少し、大きく目標立てろよな。明日、あさってじゃなくてさ」
「だって――」
君はいつか帰らなきゃいけないのに。
自分と違って、待っている人が居るのだから。
行く先は、なるべく近く、具体的に決めておいた方がいい。
所詮、約束したわけでもない道行き。
明日、別れを告げられても驚かないように……。
そんな思いを知ってか知らずか、天化は山の頂きから町の方を見下ろしている。
そして、ふいに振りかえった。
「何か生臭くねぇか?」
「腐臭と、妖気――」
人通りはそれなりに多いはずの峠の道。
不吉な匂いは、危険を知らせる。
がさりと繁みを分けて現れたのは、虎のような姿に、鋭いトゲのような毛並を持った妖獣だった。
旅人たちを襲っていたのだろう。
その口には、まだ生々しい血がこびりついていた。
「窮奇(きゅうき)……か。相手に不足なし!」
まったく止める暇もない。
窮奇は恐ろしい人食いだ。
確かに、こんな人里近くに現れるのを放っておくわけにもいかないが。
どうしよう、手伝った方がいいだろうか、とウロウロしているうちに。
「よっしゃ、ちょろいぜ!」
勝利の宣言が聞こえてしまった。
まぁ、一対一で天化が負けるわけもない。
「随分、早かったね」
「満腹で動きが鈍かったみたいだな。それに、今まで来た連中が、ろくに抵抗もしなかったから油断してたんだろ」
普通の人間が妖獣に対抗できる武術を心得ているわけもないから、それは旅人たちのせいではない。
窮奇の動きを鈍くしてくれたと思われる犠牲者たちに感謝しつつ、心の中で手を合わせる。
「お前、ちょっと、あっち向いてろ」
「?」
背を向けると同時に、肉を切り裂く音が聞こえた。
先ほどの窮奇に刃を振り下ろしたらしい。
戦いに慣れたとは言っても、血に慣れたわけではない。
地表を染める血を想像して、胸が悪くなる。
毛皮でも取っているのだろうか。
「さ、行くか」
「……それは?」
「窮奇の牙だ。妖獣は、倒した証の牙が宝石並の価値を持つ」
手の平の四つの大きな鋭い牙。象牙のように白く輝いている。
屍体は、獣共が片付けるだろう。
「というわけで、今日は豪遊できるぜ。久しぶりに、宿を取って、うまい飯!」
「こら! 旅の道士が贅沢してどうする!」
「いいじゃねぇか。――この辺、温泉あるぜ」
太公望は、それ以上文句を言わなかった。
結構助けてもらっているから、たまには大目に見てやろうと思ったのだ。
決して、温泉につられたわけではない。
――多分。

*

橡は、南北に街道が続く行商の町。
人も、並ぶ露店も活気にあふれている。
「部屋をお借りしたいのですが」
「いらっしゃい、お一人で?」
「いえ、連れが一人……」
天化は、先ほどの牙を換金しに行っている。
こういった取引に関して、長く人間界を旅していた天化は詳しい。
しかし、そんなに「うまい飯」にこだわるのなら、洞府での修行に戻るか、観念して都に残ればよいのに。
少なくとも、流浪の山野を巡る旅よりは遥かにましだろう。
何故、目的もない自分の旅に同行しているのか……。
つい、また考えてしまう。
自分といると、名声を狙った腕の立つ者と出会いやすいからとは言っていたが。
「おやじ! 部屋は二つだ、二つ!」
いきなり入ってきた天化が、ずい、と店の主人に詰め寄った。
太公望は首をかしげる。
「なんで?」
「いいから二つ! 空いてるだろ?」
「天化?」
「夕飯前に、一休みしてこいよ、な?」
説明もしないで、太公望を部屋に行かせようとする。
怪しい。
何をそんなに慌てているのだか。
……答えは、すぐにやってきた。
「おじさーん! 旅の道士様が来たでしょ!」
「部屋はどこ……あら?」
ぱたぱたと駆け込んで来た、少々派手めの女性二人。
太公望と天化を見比べて、おや? という顔になる。
「もしかして、早すぎたかしら?」
ひきつり、蒼ざめる天化。
「もしかしなくても、早過ぎだ、ねーちゃんたち……」
見なくても、連れの冷たい視線は想像できただろう。
「ふーん。部屋、二つ、ね」
「い、いや、その、これにはワケが……げっ!?」
――家屋内に、雷鳴が轟く。
「ご主人。『一番離れた部屋』を二つ。お願いします」
「は、はひ」
にっこりと極上の笑みを浮かべた道士を案内して、宿の主人が奥に消えた後。
店先の土間には、一人だけ雷の犠牲になった道士が一人残されていた。
「……こんなんで、本当に大丈夫なのかしら?」
その前で、女性二人が心配そうに顔を見合わせていた。

**

逢魔ヶ刻。
道士と、町の遊び女らしい二人という妙な取り合わせが、山の麓に向かっていた。
不機嫌の絶頂のまま、天化が尋ねる。
「で、相手はどんな奴なんだ。強いんだろうな」
「強いわよ。ここ数ヶ月で、何十人も殺されているんだから。……兄さん、本当に腕は立つんだろうね。山の窮奇を倒したっていうから声をかけたけど、もしハッタリだったら――」
「間違いなく殺されるわよ」
さっきの一件で、すっかり信用を落としてしまったらしい。
「あんたたちが、ちゃんと隠れててくれれば、倒してやるよ」
人を庇うと、動きが格段に制限されてしまう。
居場所さえ教えてくれれば、一人の方が戦いやすい。
「ここよ」
「北の山に窮奇、南の洞窟にこいつが現れてから、町は寂れる一方。商売あがったりよ」
娘たちの妖獣を倒したい理由が、決して「町の為に」ではないことに、天化は苦笑する。
こういった人間のたくましさは、嫌いではない。
洞窟の中から、熱気が噴出してくる。
火山の麓に多い、温泉の湧き出し口。
硫黄の匂いに混じる、不吉な妖気。
ぐつぐつと煮えたぎる濁った湧き水の傍らから、大きな影がむくりと起きあがった。
「水の蛟(こう)……こいつか」
洞窟に入らないよう言い含め、天化は不気味な妖獣と対峙した。
蛇のように見えるが、どちらかというと巨大な蛭に近い。
目はほとんど見えていないはずだが、人間の気配と匂いで的確に獲物を追いかける。
油断できないのは、時折吐かれる、毒の唾液の混じった熱砂。
あれを浴びたら最後だ。
なかなか近寄れない上に、身体がぬるぬるとした体液に包まれているので、さすがの莫邪でも一撃必殺とはいかない。
手間取っているのを心配したのか、背後から声が響いた。
「兄さん、大丈夫!?」
「馬鹿、来るな!」
人間の気配を感じ取った蛟が、そちらに注意を向けた。
熱気を含んだ砂の塊が、洞窟の入り口を直撃する。
あれでは、普通の人間ではひとたまりもない。
自分が、蛟を早く片付けなかったばかりに、二人の娘が……。
「ちくしょう……」
「自分の腕に奢るべからず――。まったく、一人でやろうとするから、こういうことになるんだよ」
涼しい声が、熱風を散らした。
見えない壁にさえぎられた砂が、まとまって落ちる。
「もう少し、信用してくれてもいいと思うけど」
涼風の向こうに、見慣れた姿があった。
「こっちは大丈夫だよ」
自分の力量を正しく判断した上で、自信を持って大丈夫と言えるその強さ。
信用していないわけではない。
この程度のごたごたに、巻きこみたくなかっただけで。
そう言うと、また怒るだろうが。
背後を気にしなくてよくなった余裕は大きい。
もう力の加減も必要ない。
「莫邪宝剣!」
放たれた光が蛟を両断する。
洞窟を崩すことを懸念して使わなかった宝貝による衝撃波は、予想通り風の結界にさえぎらた。
蛟は、熱砂の中に沈んだ。
もうこの辺りで死人が出ることはないだろう。
いつもと変わらない笑顔の友人に、天化は気づかれないよう心の内で感謝した。

***

宿に到着するなり、娘たちが、両脇から太公望に色っぽくしなだれかかった。
整った顔だちに気づいたらしい。
「わたしの相手はどちらなのかしら?」
「あたし、貴方の方がいいなぁ」
天化が、「あ、ちくしょう」とぶつぶつ文句を言っている。
どうやら、妖獣を倒した褒美は、このお姉さんたちということのようだ。
あさっての方を向いている天化を一睨みして、太公望はにっこりと彼女たちに微笑んだ。
「すいません、お姉さん方。奥の部屋をお二人でお使い下さい。――こっちの部屋は僕たちが使いますから」
呆然としている天化の後ろ襟首をつかみ、問答無用で引っ張って歩き出す。
部屋の扉を閉める時、遠くから、ようやく我に返ったらしい姉さん方の「信じらんない〜」という喚き声が聞こえてきた。
「ちぇ、せっかく合意の上だったのに」
未練がましく、彼女たちの部屋の方を眺めながら、天化がごちる。
「馬鹿言ってないでさっさと寝る!」
「あんな言い方しちまって、ヘンな噂流されても知らねぇぞ。――ったく」
「…………」
「え? なんだって?」
「なんでもない。お休み」
毛布を被り、すぐに安らかな寝息を立て始める太公望。
天化は肩をすくめて、見習うことにした。

太公望の呟きが聞こえていたら、この夜は、もう少し違った展開になっていたかもしれない。

****

翌日、二人は日が昇る前に宿を出た。
蛟を倒したことで町人たちに騒がられるのも、あの姉さんたちと顔を合わせるのも避けたい。
「さて、次はどこに行く?」
まだ不機嫌を装ったまま、黙って、太公望は広がる森の方を指差した。
「は? 西には何もないぜ?」
「西の果てには、宗教も術も神様も違う国があるというから。――行けるところまで、行ってみようかな、と……」
「――」
きっとあきれてる。馬鹿なことを言い出したと。
そんな酔狂には付き合えない、もう同行できないと言うに違いない。
けれど、いつ別れを告げられるか、不安な日を過ごすくらいなら。
いっそ、今別れてしまった方が……。
――それなのに。
「へぇ、お前も思いきったこと言うようになったじゃないか」
その言葉を待っていたと言わんばかりに、ニヤリとして。
「それじゃ、行ける所まで行ってみるか」
ほら、早く、と手を差し伸べられる。
「はぐれたら、西の最果てで落ち合おうな」
冗談とも本気ともつかない口調。
何故か涙がこぼれそうになったのを隠して、その手を取る。
もう少しだけ、こうしていられるように。
ささやかな願いを込めて。

十分後。
西への道は、いきなり崖で終わっていた。

END


「別離」の直前の話になります。
ししょーが「西」で見つかったことは、偶然じゃないってコトで。
なんとなく、嫌な予感を感じているししょーは、しきりに天化を都に戻そうとしています。

ししょーの独り言はナイショ。好きに想像してください(笑)
もし、一発で天化を骨抜きにできそうな台詞を思いついたら教えてください(^_^;


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