「海蛍(うみほたる)」
自分だけだと思っていたのに近くに生き物の気配がする。
このあたりは山に面しており、滅多な人間は来られない。
仙道か、妖魔か――。
新しい宝貝の威力を試そうと思って、海に遊びに来ていた道徳真君は、岩場からひょいと浜辺を見渡した。
浜辺に、どこかで見た二人連れがいた。
(おや、誰かと思えば、うちの弟子と大将殿)
天化なら、この場所を知っていて不思議はない。
昔、何度もここに連れてきていた。
威力の強い宝貝を使う時には、障害物のない海は絶好の場所だ。
幸いというか、練習に丁度いい、海の妖獣も結構いることだし。
他のメンバーもいるのかと思い、辺りを見回すが、他に気配はない。
海は初めてなのか、珍しそうに太公望がぱたぱたと歩き回っている傍らで、天化は暇そうにしている。
別に何か用事があって来たというわけでもなさそうだ。
どうやら二人で、お忍びで遊びにきたらしい。
(なんだ、随分文句を言っていたのに、仲良くやってるじゃないか)
あのひねくれ者を御するとはたいしたものだ。やはり、元始天尊様の目は確かだったと見える。
遠くを眺めているのを油断しているとでも思ったか。
ふいに、背後から凶悪な気配が迫った。
鮫魚。
動くものと見れば襲い掛かる、凶暴な妖獣。
仙人に襲い掛かるとはいい度胸。
全身が水面に踊り出た瞬間に、発勁で叩き落す。
予想外の抵抗に驚いたのか、鮫魚は身を翻し、逃げ去っていく。
……と思いきや、今度は浜辺の二人に標的を変えたらしい。
凄まじい勢いで、そちらに向かっていく。
まぁ、あの二人なら大丈夫だろう。
そう思って眺めていると。
先に気づいたらしい天化が、ふいに山の方を指差した。
つられた太公望が、そちらを眺める。
その隙に天化が、海面に飛び出した鮫魚を一刀両断する。
妖獣の身体が波に飲まれるのと、大将が不思議そうに振り返ったのはほぼ同時だった。
天化は、なんでもない、と手を振っているようだ。
(……てっきり大将殿が苦労していると思ったのに、なんだか、うちの弟子の方が気を使ってるみたいだなぁ)
一応腕は前より上がっているようだし。
邪魔するもの無粋か。
宝貝のお試しは今度にし、今日のところは、別のことで我慢することにした。
*
指差された山の方に変わったものを見出せず、振り返った太公望は大きな波しぶきに驚いた。
「何かいたのかい?」
「なんでもない」
「?」
一瞬、何かの殺気を感じたような気がしたのだが。
今はもう、何もない。
やはり気のせいか。
傍らには、天化がいることだし。
足元をちょこちょこと通り過ぎていくヤドカリを見つけると、もう今のことはすっかり念頭から消えていた。
とにかく、海がはじめての太公望にとっては、砂浜は珍しいもので一杯なのだ。
やれやれ、と天化は莫邪を鞘に収めた。
知らなくて済むなら、そこらにいる雑魚妖魔の存在など、気がつかなくていい。
本陣に戻るまで、何事も起こらないなら、それにこしたことはない。
砂に模様を書いて、ヤドカリと戯れている様子に、ふと昔のことを思い出した。
そういえば太公望はいまだに過去、仙界ですれ違っていることを知らない。
別にだましているわけではないのだが。
単に、言い出すきっかけがないだけで。
しかし、バレるのが後になればなるほど、怒り狂うのが目に浮かぶ。
機嫌のよさそうな今のうちに、言ってしまうか?
しばらく悩んだ後、決心して口を開こうとした時。
「わーい、ヤドカリなのだぁ」
背後を、軽い足音と共に聞き覚えのある声が通り過ぎた。
「――!?」
「よぉ、天化」
当然のように、そこに居たのは那咤だった。
雷震子はすでに、太公望と一緒になって、ヤドカリを集めている。
「な、なんでお前らここにっ!?」
「おにいちゃんたちだけ、ずるいのだ。らいちゃんたちも、あそびにきたのだ!」
いつの間に後をつけてきたのだろう。
こういう真似は、那咤にはできない。
思い当たるのは……
案の定、そちらの保護者がいた。
「天化殿、ぬけがけはずるいですよ」
にっこりと笑ったウラに、トゲがあるのは気のせいではあるまい。
「楊セン……ぬ、ぬけがけってなんだよ! そんなつもりは……ただ、あいつが海を見たいって言うから――」
「それをぬけがけって言うんですよ」
「〜〜〜っ!」
まぁ、その通りなので言い返せない。
「本陣からこんなに抜けてきて、何かあったらどうすんだよ!」
「大丈夫ですよ。……あなたに太公望殿を連れ去られて、現在最強モードになっている人が残っていますから」
「――?」
答えを太公望が口にした。
「嬋玉と白鶴は来なかったのかい?」
「おねえちゃんたちは、るすばんなのだぁ」
今、本陣を襲った妖魔は、一生後悔することになるだろう。――生き残ることができれば。
大喜びで砂浜を駆け回っている子供たち(←太公望は子供扱い)。
天化と楊センが、気づくたびに競うように海の妖獣を倒していたので、人間界でも有数の危険な浜辺であった場所は、その日のうちに、人間界一、安全な場所となっていた。
妖獣がやたらに現れたのは、いたずら心を起こした道徳真君のせいだったのは言うまでもない。
結局のところ、天化は今日もまた、過去のことを言い損ねたのだった。
**
「暗くなっちゃったね。早く帰らないと」
すっかり闇色になった海を見渡して、太公望が名残惜しそうに呟く。
「出発は明日ですから大丈夫でしょう。黄飛虎殿には、遅くなると伝えてきましたし」
こういうところは、楊センは抜け目がない。
「あしがしわしわなのだぁ」
「なんか体中塩っぽいぜ」
波打ち際で遊んでいたので、すっかり足先が白くなっている雷震子と那咤。
(鳥の塩焼きと蓮の塩漬け……)
一部の大人が心の中で思ったことは、口に出すと大変なことになる。
「あれ? 海が明るい」
玉麒麟に乗せてもらい、海を見下ろした太公望は驚いた。
波が比較的穏やかな岩場に、ゆらゆらと光が浮かんで見える。
「海蛍だな」
「綺麗だ……また見られるかな」
「見られるだろ」
海など、いつでも来られる。
妲己を倒し、世の中が平和になれば。
「そうだね」
太公望はうなずいて、微笑んだ。
立ち去る彼らの眼下で、蒼い幻想的な水の中の灯りは、手を振るようにいつまでも揺らめいていた。
END
「紅珊瑚」の続きなので、道徳師匠に出張ってもらいました。
うみほたる 【海蛍】
ひらがなで検索すると、東京湾アクアラインのパーキングばかり引っかかるのが笑えます。
介形目の海産節足動物。長さ3ミリメートルほどの卵形の二枚貝のような殻の中に、エビ状の本体があり、脚を動かして泳ぐ。発光物質を分泌し、ホタルのように青白く光る。
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