惚れ薬


「姜公殿〜」
「炳霊公さまぁ〜」
今日も今日とて、炳霊公の白亜宮の前にある池から、男女の声が響く。
神気を満たした池の水の中では、海の住人も元の姿でいられる。
逆に言うと、この場からはほとんど離れられない。
龍の化身たちは、不満そうにばしゃばしゃと水しぶきを上げていた。
「おのれ、炳霊公〜、いつか必ず姜公殿のお心は私に……」
「情けないわね、玉翠。わたくし、貴方のように待っているだけなんてつもりはありませんわ。ちゃんと切り札がありますもの」
想い人以外には非常に高飛車なお姫様が、自慢気に肩をそびやかす。
「切り札?」
「お父様からいただいたこのく・す・り……」
どこからとりだしたものか、琥珀色の液体の入った小さな瓶を振ってみせる。
「――そ、それはもしや、叔父様、ご自慢の「惚れ薬」!?」
多情でならす竜王。その恋の成功は、半分くらいはその薬のせいと聞いている。
「これさえ飲んでいただければ、炳霊公様のお心は私のものですわ〜!」
「白蘭公主! その薬、二つあるのですか?」
「ええ、炳霊公様と、わたくしの分♪」
上機嫌で踊りだしそうな姫君。
あわてて、玉翠は彼女に提案した。
「お待ちなさい、公主! 貴女はもう十分炳霊公に惚れてらっしゃる。ということは、薬はもう必要ない」
「……ええ、まぁ、そうね」
「あまったその薬をいただければ、私は姜公殿にそれを使うことができる!」
「……それで?」
「炳霊公に薬を使っただけでは、姜公殿が元に戻す方法を考えてしまうに決まってるじゃありませんか! でも、姜公殿も同時に私に惚れてくだされば、お互いなんの邪魔もしないわけで……」
「一石二鳥ということね」
「そういうことです!」
「乗りましたわ、その話!」
ここに、史上最悪の紅白人面魚タッグが誕生した。

*

その夜。
姜公は、玉翠に呼び出された。
本当は無視したかったのだが、夜通し泣かれるのはうるさくて敵わない。
「何の用?」
不機嫌を隠さず、そっけなく尋ねる。
「ああ、つれない……」
珍しく人間形の玉翠は、よよ、と泣き崩れる真似をする。
「貴方のお心はよく分かりました。私はもうあきらめることにします。お別れの前に、貴方にお贈りしたいものがあるのです。――姜公殿、これをお飲みください!」
玉翠は琥珀の液体の入った瓶を差し出した。
「これは、南海竜王秘蔵の恋薬。これを飲んで愛しい人の前に立てば、その人の心をさらに魅了するという素晴らしい薬なのです!」
微妙に効果を言い換えて。
けれど。
――誰が飲むか、そんな怪しいもの。
思い切り、不信の眼差しで睨まれて、あわてる玉翠。
ここで飲んでもらえないと、予定が狂う。
「炳霊公は、あれで結構モテてるみたいですし。出かけている間、どこの女と遊んでいるか分かりませんよ。それに、今頃は白蘭公主と……あわわ」
「なんだって!?」
顔色を変えて、宮に戻ろうとする姜公。
ええい、仕方がない!
「姜公殿、お許しを! ムリにでも飲んでいただきます!」
「な、何をするんだ!」
肩を掴み、口元に瓶を押し付ける。
玉翠は必死だ。
これさえ成功すれば、姜公の心は自分のもの!
だが――。
彼は忘れていることがあった。
見かけに惑わされがちだが、姜公は、実は強い。
とんでもなく、強い。
その気になれば、炳霊公だって倒せるくらいに。
――玉翠など、足元にも及ばないのだった。

**

こっそりと炳霊公の私室に忍び込み、白蘭公主はうふふ、と笑った。
眠っているところに薬を飲ませ、目覚めた時に自分を見てもらえば、炳霊公の心は自分のもの。
本当は、炳霊公の意思で自分を好いて欲しかったのだが。
一人身だと聞いていた炳霊公に、余計なものがくっついていたのは予想外だった。
早いところ、虫は取り除いておかないと。
(さ、急ぎませんと、玉翠が失敗するかもしれませんし)
さすがに女は計算高い。仲間のことはあまり信用していない。
「……なんの用だ?」
「あっ、あらっ! 起きておいででしたの!?」
「寝込み襲われて、起きない神将がいるかよ……」
夜這いをかけてきた娘に呆れつつ、炳霊公はため息をつく。
星辰を呼んで、部屋から追い出してもらおうとした時。
白蘭が言った。
「炳霊公さま、これを飲んでいただけたら、わたくし、きっぱりあきらめて竜宮に戻りますわ!」
差し出される琥珀色の液体の入った小さな瓶。
「……本当に戻るんだな?」
「ええ!」
瓶を取り上げるなり、炳霊公はそれを飲み干した。
やった、と白蘭がほくそえむ。
その時。
「天化!」
部屋に、姜公が飛び込んできた。
「飲んだのか!?」
いきなり肩を掴み、揺さぶる。
「このバカ! 昔、散々隷輝にかかったくせに! 君に反省って言葉はないのか? この鳥頭!!」
「えらい言われようだな。おい、落ち着けって。――ただの強い酒だぜ?」
いつもと変わらない口調に、姜公の手が止まる。
「ホントに?」
「そ、そんなぁっ!」
驚いたのは、白蘭である。
父、自慢の惚れ薬のはずなのに。
「良かった……僕のことを忘れてしまったら、どうしようかと思った――」
「そんなことあるわけないだろ。……お前は大丈夫だったのか? 玉翠が行っただろう」
こいつらの考えることなど、手にとるように分かる。
「うん。ちょっとこらしめていおいたから」
「……」
玉翠の末路を想像して、ちょっとだけ気の毒になる。
「炳霊公さまぁ……」
「はい、お邪魔虫はさっさと出て行きましょうね」
おろおろしていた白蘭は、ふいに現われた星辰に引きずっていかれた。
未練がましい泣き声が遠ざかっていく。
「飲んだら、竜宮に帰るって言ったんでな。追い出すきっかけにはなるだろうと思って」
「それにしても、危ないじゃないか。変な薬だったら――」
「竜王の恋薬とやらが酒だってのは有名な話だ。強い酒を飲ませて、酔ったところを口説くなんてのは色事の常套手段だろ?」
「そ、そうなのか……」
なんにしても、良かった。
「騒がせてごめん」
あんな薬に操られるかもと疑って、悪かった。
そんな思いを込めて。
おやすみと告げて、その場を去ろうとしたのだが、手を掴まれた。
「待てよ。こんな時間に来て、何もなしで戻るつもりか?」
「え――ちょ、ちょっと、冗談は……」
「冗談なもんか」
ぐい、と抱きすくめられて、いつもと違う強引さに驚く。
そういえば。
薬を飲んで最初に炳霊公が見たのは、白蘭ではなくて――。

惚れ薬の効果など、信じてはいないけれど。
……一晩くらいは、騙されてみてもいいかもしれない。

***

「きょ……姜公殿……」
「あきらめませんことよ〜」
人面魚に戻った二匹は、星辰によって、ぽい、と池に戻された。

END

皆さん、炳霊公と姜公のその後は、甘々を想像しちゃうと思うのですが。
姜公は酒気に当たると……?

炳霊公の冥福を祈りましょう(笑)。


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