イ尓喜歡誰呀?(誰が好きなの?)


「盧公主か、葛葉媛って人、知ってる?」
姜公が、蓬莱宮の仙獣にそう尋ねたのは、神界に来て間もなくことだった。
小蓬莱の花精や、気ままな風神たちから、耳にした噂話。
炳霊公には昔、人界に親しい女性がいたという。
人界には極力関わらないという掟を無視して、何度も訪れていたと。
――自分と再会するまでの1800年。
それは、時間の流れが違うとされる神界でも決して短い刻ではない。
神界で武勇を誇る炳霊公が、放っておかれる方が不自然なのだ。
忘れられない相手の一人や二人いてもおかしくない。
「知ってるのかい?」
尋ねられた仙鳥の二人は、困ったように顔を見合わせる。
「ごめんなさい」
「知ってるけど」
「言えないの」
「ごめんなさい」
歌うように答えるなり、二人して駆け去ってしまう。
驚いて他の者たちにも尋ねたのだが、やはり皆、悲しそうな顔をして、口をつぐむ。
問いただそうとすると、決まって逃げてしまうのだ。
(よほど、天化が本気だった相手なのかな……)
そういった相手がいたことよりも、自分の知らない炳霊公の過去があることの方が辛いのに。
どう言ったら、分かってもらえるのだろう。
さすがに本人に尋ねるわけにもいかず、当分このことは忘れることにした。

*

南海でのごたごたや、「尚」という、考えてもいなかった「自分」との邂逅。
神界に来てから、色々なことが立て続けに起こって、少々過負荷ぎみ。
木陰でうとうととまどろんでいると、声をかけられた。
炳霊公が、翼のある虎のような騎獣を連れている。
自分だけなら騎獣など不要のはず。姜公をどこかに連れて行くつもりらしい。
知り合いからもらってきたらしい月李を二輪、手にしている。
「少し付き合ってくれ」
「どこへ?」
「人界」
言われて、ちょっと驚く。
人界へ、神将は滅多に降りることはないはずなのに。
天界の承認を得ている様子ではない。
掟をかすめて出かけるのだから、よほど大切な人なのだろう。
騎獣に乗って空を翔け、渭水の流れを見下ろしながら、都から少し離れた丘の上に降り立つ。
(……お墓?)
長く続いた名家の墓所らしい。
風雨にさらされた古いものから、磨き上げられた新しい黒曜石まで、数多い石が並んでいる。
一番奥の方、二つの古びた石の墓の前に炳霊公が膝をついた。
神界から持ってきた月李の花を、一輪づつ、その前に捧げる。
長い年月を経た石に刻まれた文字はもう読めない。
仲良く並べられた二つの墓の前に立った途端、記憶があふれるように流れ込んできた。
姜公自身のものではない、人界での温かい家族の思い出。
美しく、華やかで、気が強かった母。
ちょっと気弱で、母には逆らえなかったけれども、領民に慕われていた父。
父の姓名は盧。
そして、母の名は……
「葛葉――母上」
自然にその言葉が口から漏れた。
盧公主。葛葉媛。
やっと、その名が記憶とつながった。
そして、炳霊公の宮の仙獣たちが、口をつぐんだ理由も。
……盧公主の名を出せば、「尚」のことも話さなくてはいけない。
その存在を姜公が知らなかった間は、彼らにとって、その名は禁忌だったのだ。
姜公が「尚」を取りこんだ今、彼らのことを隠す必要もなくなった。
きっと炳霊公は、「尚」を両親の元に連れてきたかったに違いない。
彼らに、一体どんなことを報告していたのだろう。
ようやく墓前から立った炳霊公に、ちょっと意地悪く尋ねる。
「葛葉さんのこと、好きだった?」
「……あの姐御のこと、嫌いな奴はいないと思うぜ」
気風がよくて、情が深くて。
神将を前にしても気後れもせず、いつでも堂々と生きていた。
「人妻じゃなかったら、さらっていたかもな」
少し照れたようにそう言ったのは、まんざら冗談ではないかもしれない。
「聞かなかったことにしてあげる」
こんなに年月が経っても、神界の武神将と噂になるような女性が、「母」であったことが嬉しい。
誇らしく、ちょっとくすぐったい。

(――これからは、浮気なんて許さないけどね)
心の中で呟いたのが聞こえたのか、降り返ってみると、炳霊公は墓石の向こうに隠れていた。

END


覚えていた方には、最初から「盧公主/葛葉」=「ああ、彼女ね」とニヤリとされる話でした。(「若紫」に名前が出ていたんです)
あの夫婦は、封神演義原作で言えば「嬋玉・土行孫」くらい、落差のあるカップル。
でも葛葉さんは、奔放でいい男を物色しているように見えて、本当は旦那一筋のよい奥さんでした。
あの尚ちゃんの母上ですしね(尚ちゃんは父親似か(笑))。
あ、でも、炳霊公には会うたびに言い寄って、炳霊公と旦那をひやひやさせていたり。


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