鼠退治
「鬼さん、こんにちは。お役目ご苦労様です」
深々と頭を下げられて、いつも恐ろしい形相で龍虎門を守っている無常鬼も勝手が違ったらしい。おたおたと周りを見回し、思わずつられて頭を下げる。
……こんなところを他の者に見られたら、威厳が崩れ落ちること間違いなし。
「炳霊公様のお使いです。大帝様のところに伺いたいのですが」
手にした籃には大きな柘榴(ざくろ)が並んでいる。
鬼は、鋭い爪を持つ大きな手で門を開いた。まっすぐ行け、と延々と続く道を指し示す。
「ありがとうございます」
再び、軽く小首をかしげてにっこりと微笑まれ、鬼は呆けたまま、その後姿を見送る。
その後、反動のように、後から来た人々はえらく乱暴な扱いを受けた。
*
「東岳大帝様にはご機嫌うるわしく……」
「おお、大将殿、久しぶりだ! 何か困っている事はないか? あやつに泣かされてなどおらぬだろうな、何かあったらいつでもここに移り住んでよいぞ!」
ぎうーと抱きしめられて、尚は目を白黒させる。
「あ・な・た」
後ろから忍び寄った美しい女性が、大帝の腕をぎりぎりとつねり上げる。
「□〜☆▼∧∞!!」
「お客様がびっくりなさってるではありませんか。――尚殿、素晴らしい柘榴、ありがとうございました。今日はゆっくりしていけますの?」
「いえ、もう僕は戻らないと……」
鏡氷湖の龍に会いに行くんです、と嬉しそうに言うのを、炳霊公の両親である東岳大帝とその妃がにこやかに見守る。
丁寧に頭を下げた姿が消えた後、
「うーむ……やはり、太公望殿とは違うな」
「……辛い思いをしないと良いのですけど……」
二人は心配そうに呟いた。
*
「おやおや、こんなところを人間風情が歩いているとは」
「ほら、あれですよ。炳霊公殿のところ……」
「ははぁ、お小姓か、いい気なもんですな」
自分のことを言われていると気づいて、尚は手にした籠を抱きしめた。
ただの人間である自分が、この泰山府の奥まで来ていることを心よく思っていない神がいるのは予想していた。
しかし、ここまで露骨に言われるとは。
「こんな子供を東岳大帝様への使いに出すようでは、主の質もたかが知れるというものだ」
「いや、まったく」
自分のことはなんと言われても構わない。
けれど、自分のせいで炳霊公のことを悪く言われるのは――。
言い返したいのに声が出ない。
ここで自分が何か言えば、さらに何か理由をつけて責められるに違いない。
動くことすらできずに、その場で立ち尽くす。
「大帝様の息子ということで、随分といい気になっているのではないか?」
「人間界ではそれなりの腕だったそうだが、神界でも同じと思われては困りますな。少々自覚が足りないのでは?」
違う、炳霊公は不要な名声を嫌って滅多に公式の妖魔退治等には参加しないだけなのだ。
政務も任せられるとこは任せているが、そつなくこなしている。
何も知らないで勝手なことを……。
必死にこらえているところに、聞き覚えのある声が割りこんだ。
「よお、大将じゃねぇか。奇遇だな」
「玄壇真君様……」
玄壇真君、過去の名を趙公明。封神戦争での立役者の一人である。
さすがに泰山府の文官も、相手が悪いと居住まいを正す。
「こ、これは、玄壇真君殿……」
「炳霊公の陰口とは、度胸のあるこった。お前ら新参者だな」
うろたえる者たちをじろりとめねつけ、一言の元に切って捨てる。
「言っておくがな、炳霊公は、封神戦争で俺と対等にやりあったヤツだ。怒らせりゃ、山一つ消し飛ばすぜ」
尚の肩を叩いて歩き出させながら、趙公明はニヤリとする。
「せいぜい覚悟しておくんだな」
文官たちは、まさかと顔を見合わせて、ひきつった笑いを浮かべた。
*
「趙公明? 一体どうし――」
珍しい来訪者を迎え入れようとして、炳霊公はその後ろにもう一人いることに気づいた。
尚だった。うつむいて、唇を噛みしめている。ようやく顔を上げると、白い頬にぽろぽろとこらえていた涙がこぼれた。
「な、なんだなんだ? こいつに何かされたのか!?」
指差された玄壇真君が、憮然と言い返す。
「恩人に向かってえらい言い様だな、おい」
「ごめ……さ、い……ごめんなさい――」
使いとして泰山府に行ったはずの尚は、謝罪の言葉ばかりを切れ切れに繰り返す。
問いただすことをあきらめ、炳霊公は玄壇真君を見た。
「……どういうことだ?」
「まぁ、神界にも下劣なヤツはいるってことだ。口ばっかりのな」
「……なるほど」
それだけで、大体察しがついたらしい。
「星辰、尚を部屋に連れてってやれ」
人形を取った狐の化身が、宮から駆け出してきた。
心配そうに尻尾を振りながら、尚を連れて行く。
その寂しげな背中を見送った後、玄壇真君が責めるように言う。
「いいのか、そばにいてやんなくてよ」
炳霊公は答えない。
黙って古い友人を宮の中に招き入れ、無造作に置いた杯に、荒っぽく酒を注ぐ。
ありがたくそれを受けとって、玄壇真君が溜息をつく。
「なんつーかさ、やっぱり……別人だよな」
優しく純粋で、素直。太公望にはそれに加えて強い信念と術力、そして仲間に支えられた自信があった。尚には、昔の記憶だけでなく、それが足りない。
「姿が同じだけにタチが悪い。……ありゃあ、何年待っても「大将」にはならねぇぞ。情が移らないうちに人界に帰した方がいいんじゃねぇか」
「……分かってる」
「もう手遅れってか」
なら仕方ねぇな、と肩をすくめる。
ところで、と炳霊公が聞き返した。
「俺の悪口言ってるバカがいるのは分かった。……でも、なんで尚が謝るんだ?」
「そりゃあ、「言い返せなくてごめんなさい」だろ。自分が下手なことを言うと、ますます立場を悪くすると思っちまったんだろうよ。頭が回るヤツは損だよな。俺が見つけた時には、言われ放題で、口ごもって震えてたぜ。……あれが大将だったら、にっこり笑って容赦なく言葉で叩きのめしてるところだ」
やはり、太公望とは違う。下地は同じでも、育った環境、周りの人間に性格は左右される。尚を見ていると、どれだけ大切に育てられていたかが分かる。叩かれた経験が少ないから、どういう対応をしたらよいのか分からない。辛苦を知らない分、打たれ弱い。
「相手は腐っても神で、自分は人間だっていうコンプレックスがあるんだろ。……本気でここに置く気なら、さっさと神籍に入れちまえよ。それだけの霊力はあるじゃねぇか」
炳霊公はやはり答えない。
「ま、俺の口出しすることじゃないけどな」
元より他人の事情に関わるつもりは、さらさらない。
「で、どうするんだ。まさか、あの鼠共をこのまま放っておくつもりじゃねぇんだろ? あいつらにゃ、いいかげんうんざりしていたんだ。やるなら俺も手伝うぜ?」
話が変わってほっとしたのか、炳霊公はいつもの皮肉げな笑みを浮かべた。
「鼠退治は猫にやらせるさ。居場所を教えてくれれば、それでいい」
「おお、久々に炳霊公の暴れっぷりが見られるか? こりゃ面白くなりそうだ」
神界の平和ぶりに退屈しきっていた玄壇真君は、これからの修羅場を想像して、それは楽しそうに破顔した。
*
「泰山府に鼠が出たと聞いたんでな。猫を連れてきた」
突然来訪した珍しい姿に、泰山府の役人たちがざわめく。
神将の威圧を込めた視線は、辺りの者たちを震え上がらせるのに十分だった。
目的の相手の見当をつけて、わざと連れに尋ねる。
「趙公明。「鼠」は「どれ」だ?」
「お前の目の前だよ」
「ほう。こりゃあ、でかい」
ニヤリとして、炳霊公は肩にかついでいた大きな虎のような生き物を下ろした。
死んでいるとばかり思われていた獣が、むくりと起き上がった。
「『猫』。遠慮なく食っていいぞ。……まずそうだがな」
その名は馬腹。
確かに猫に見えないこともないが……。十倍ほど大きく、その狂暴さは計り知れない。
生きたまま捕らえ、契約を交わした妖獣は、神将の下僕となる。
その存在は、そのまま主の力の証。
主の命令を受けて、馬腹はのそりと歩き出した。
「ひ、ひええっ」
「お、お、お許しを〜っ」
標的となった二人が脱兎のごとく逃げ出す。
容赦なく後を追う馬腹。
その様子を、大笑しながら見送る炳霊公と玄壇真君。
……わずか半日で、炳霊公は自分の力量を神界に知らしめたのだった。
*
数百年の時を経ても、泰山府は変わらない。
重々しい龍虎門も、延々と続く道も。
それを守る無常鬼が、現れた姿に少しだけ表情を変えたようだった。
「ねぇ、天化。なんだか、注目を浴びてる気がするんだけど」
「……前に来た時、一騒ぎ起こしたからな。俺もお前も顔は知られてる」
ちょっとやそっとでは忘れられないくらいに脅しをかけておいたのが、今でも効いているのだろう。
ふうん、と太公望は「前に来た時」の記憶を手繰る。
ふむふむと何か納得した後、なるほどね、と呟いた。
そこに、噂をすればなんとやら。見覚えのある顔が通りかかった。
炳霊公の姿に、ひえ、と小さく悲鳴をあげて、慌てふためいてその場から立ち去ろうとする。
しかし、彼らの行く手を、当時小さくなって震えていたはずのもう一人がさえぎった。
「お久しぶりですね。お会いできて良かったです」
泰山府の文官を相手に、少しもひるまない堂々とした態度。
前に会った時との違いに驚いたものの、この相手ならなんとかなると二人はほっとした表情になる。
だが、その後ろで炳霊公は二人の冥福を祈っていた。
「八百年前に言い損ねたことがありまして」
にこにこと、人当たりの良い笑顔。しかし、その口から放たれたのは。
「『実力もないくせにイヤミばかり言うな、このボンクラ共。サカナから修行やり直してこい』」
――は?
と二人が顎を落としたところに、続けて呟かれたのは、得意の幻惑術。
「いい夢見てくださいね」
次の瞬間、見えない水に溺れているらしい二人は、廊下で必死にじたばたと泳いでいた。
周りの人々はしばらくの間、唖然としていたが、よほど人望がないのだろう、廊下には失笑が広がっただけで、助けに駆けつける者はいなかった。
「一時間くらいで正気に返るよ」
あっさり言って、歩き出す姜公。
炳霊公は声もない。
姜公が振り返ってにっこりと笑う。
「……今、尚の方が良かったとか思わなかった?」
炳霊公はあわてて首を横に振って否定したものの……まったくもって、その通りだった。
おまけ:
姜公「念のため言っておくけど、あのセリフは尚が我慢してた言葉だからね」
炳霊公「……相当頭にきてたんだな……」
END
天然魅了は尚ちゃんでも健在。鬼や大帝様(黄飛虎)も手玉に取ってます。
尚ちゃんを神籍に入れるって話題のところを、籍に入れるって読み替えるとすごく笑えるんですけど。一文字抜かしただけでラブコメに……。
でもまぁ、そう考えると炳霊公が踏み切れずにいるのも理解できるってもんで(笑)。
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