「夜来香」
喉が焼ける。
苦しい、息ができない。
こんな痛みが続くのなら、いっそ死んだ方がマシだ。
そう思った時、口の中に冷たい甘さが広がった。
わずかに、喉の痛みが和らいだ……ような気がする。
「苦しいだろうけど――がんばって」
誰かの声が聞こえた。
見えたのは月の光を映した白銀の髪。
……自分の運命を変えた金茶の目。
* * *
何度目かに目覚めた時、喉の痛みはかなり収まっていた。
「もう大丈夫だね。名前は?」
白い髪に金茶の目という、不可思議な姿の若者が微笑む。
反射的に答えようとして、声が出ないことに気づいた。
毒で喉を焼かれた。
もう二度と話すことはできないだろう。
察したのか、相手はそれ以上聞こうとはしなかった。
「名前を呼べないのは不便だから、勝手につけさせてもらおうかな。青狼なんてどう?」
自分が驚いたのに気づいたかどうか。
その日から自分は青狼と呼ばれ、その奇妙な主の元に留まることになった。
* * *
双子で生まれた子供は、先に生まれた方が鬼子として忌み嫌われる。
まして、それが白銀の髪を持つ異形の者であれば、なおのこと。
この家では、その子を捨てることこそしなかったが、代わりに人目につかぬ離れに幽閉したようだった。
幽閉とは言っても、本人は比較的自由に屋敷内の散策を許され、周りの者たちも別に特別扱いはしていない。
「姿形なんぞにごまかされる輩なぞ愚か者だ。本当なら学術も弦楽も、俺より兄貴の方がずっと上なのに。実は政務の重要事項、全部任せてあるって知ったら、外の連中ひっくり返るだろうな」
こっそり母屋を抜け出しては遊びに来ている年若い領主は、そのたびに愚痴ていた。
弟が帰った後、兄はいつも苦笑する。
「私は外交には向かない。外に出たりしたら気味悪がられるしね。実際、弟はよくやっているよ。私はその役に立てればそれでいい」
豪族であればあるほど、親兄弟でも争いが絶えない世であるというのに。
早くに親を亡くしたという兄弟は、助け合って立派に乱世を生きていた。
生きていくためには、敵を倒し、功を立てて、自分を守るしかないと思っていた。
こんな穏やかな暮らしがあるなど想像すらしたことがなかった。
時が静かに流れてゆく。
何の変化もなく、ただゆっくり季節が移り変わってゆく。
いつしか、自分もこの流れの中で一生を過ごせるのではないかと錯覚しかけていた。
* * *
届けられたのは小さな酒壷だった。
普段なら見向きもしないはずの主が、その場で封を開けたのは、同じく弟に届けられたはずの酒が安全であるか確かめようとしたのだろう。
滅多に訪れることもない親戚の来訪に、何か予感があったに違いない。
杯の割れる音に気づいたときには、彼は膝をついていた。
口を押さえた指の間から落ちる鮮やかな、血。
自分はこの毒を知っていた。
すぐに息を止めるものではない。
だが、確実に死をもたらす遅効性の毒。
崩れながらも、彼が指差した方角は母屋。
「頼……む――」
助けてくれとも、苦しいとも言わず、ただ弟に、危機を知らせてくれと訴えている。
死を目前にしても変わらぬ高貴な瞳。
――自分は、主の望むことを果たすまで。
母屋の客間では、まさに酒宴が始まろうとしているところであった。
部屋に飛び込んだ青年に、客の連れらしき一団が色めきだった。
「お前、何故ここに――!?」
彼らに見向きもせず、青狼は領主が持つ杯を指差した。
それだけで彼は言わんとするところを察した。
「毒酒とは愚劣な……、この卑怯者ども!」
正体を現した暗殺者たちが、懐から短刀を取り出し、青年に罵声を浴びせる。
「青狼! この裏切り者めが!」
二度と握ることもないと思っていた対の短刀。
まさかその技を、共に磨いた者たちに振るうことになるとは。
殺せと言われたのは領主とその兄
依頼は、彼らを邪魔に思う遠い親族からだった
自分は兄の方を命じられた
どのような相手かという問いへ彼らはこう答えた
――会えば分かる
確かに一目で分かった
人外の存在のような白銀の髪、金茶の目
喉を掻っ切れば任務は終わるはずだった
だが、殺せなかった
何故かは分からない
どうしても手を振り下ろせなかった
そして自分は喉を焼かれ、敵地に打ち捨てられた
失敗した暗殺者の末路として
予想外にそこで得た「自由」
自分には決して得られるはずのなかった「情」
それを与えてくれた人が、もうどこにもいないのなら――
青狼は、もう目を開けることもない主の傍らで、残された酒壷を手に取った。
* * *
「君も物好きだね。死んでまで私につきあわなくても良いのに」
困ったように、それでも嬉しそうに主は微笑む。
彼が丹精込めて育てていた月李。
その手が触れると、固く閉じていた蕾が開いていく。
満月の下、幻の白銀の月李が次々に花開き、風雅な香りを漂わせる。
この人にはきっと天界から迎えが来るだろう。
自害した自分には決して行けないところへ。
それでも構わない。
自分はこの人の従者であろう。
――許された時間の限り。
* * *
死んでから気づいたことだが。
主は結構わがままで、いい性格をしていた。
天界からの使いが来た時、自分と近しい者たちも一緒でなければ、地獄に落ちた方がマシと脅しをかけたのだ。
彼らがいないと、同じ月李を咲かせることなど到底できない、と。
驚いたことにその言い分は受け入れられ……自分は今、なんと天帝の庭にいる。
「青狼。私が気が付いていないとでも思っているのか。天界へ来て喉は治ってるだろう。どうしてしゃべってくれないんだい。私とは話したくない?」
そんなことがあるわけもないと分かっているのに、この人は意地が悪い。
ただ、数百年も黙っていると、今更口を開くのが面映いのだ。
返答に困っていると、いたずらっぽく小突かれた。
「願わくば、君の最初の言葉が、私の名であるように」
主の姿が月李の茂みに消えるのを待ってから、
「――夜香様」
初めて、その名を口にしてみる。
風もないのに月李がさわさわと揺れて笑ったようだった。
END
「どうせ呼ぶなら大きな声で!」
……いきなり怒られますね、青狼さん。
さて、こちらで書いた話から派生したとはいえ、完全なオリジナルでした。
この二人が誰か分かっていただけたでしょうか?
夜香=庭師さん。庭師と名乗ってはおりますが、黄家のご先祖様。
青狼=力士(封神では戦闘員くらいの意味。「肝試し」で一人だけしゃべってなかった人)
でした。
ま、なんと言いますか。
暗殺者のお兄ちゃんが、うっかり標的に一目惚れしちゃって、仲間から追い出されたところをうまくその相手に拾ってもらった……という話で。(ぉぃ)
惚れると言っても、ひたすら主従の関係です。
忠犬ハチ公ですからv
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