「魂換 弐」
やけに近い鳥の声と、風のざわめきで目が覚めた。
夏だというのに、少し肌寒く感じる。
――それもそのはず。
太公望が居るのは、大きな樹木のはるか上の方であった。
(な、なんでこんなところに?)
西岐にたどり着き、その都を襲った道士たちから都を守ることで、姫発の助力を得ることに成功した。
その準備が整うまで、西岐城の一室を提供されて、そこで休んだはずなのに。
(降りなきゃ)
枝を伝って、そろそろと下に向かう。
……戦闘で崖を上り下りするのならともかく、こんな高い木登り(降り?)するのは初めてだ。
気をつけていたつもりなのに、途中で足を滑らせる。
やばい、死ぬかも。
地上まで、まだかなりある。
もし、岩や鋭い枝でもあったら……
半分覚悟して目を閉じる。
しかし、衝撃はあったものの、落ちたところは柔らかい何かだった。
振り返ってぎょっとする。
大きな生き物だった。
白くて、額に黒い点がある。
――申公豹の黒点虎。
どうしてこんなところに、と思ったが、とりあえず礼を言う。
確か、この霊獣は人の言葉を解したはずだ。
「ありがとう、助かりました……!?」
太公望は自分の声にぎょっとした。
いつもの声と全然違う。
風邪をひいたとか、そんなものではなくて、まるで別人のような……
くくく、と確かに黒点虎が笑った。
そのまま、風のように走り去ってしまう。
「あ、ちょっと! ……行っちゃった」
取り残されて、しばし呆然とした後、改めて自分の姿を確認する。
着ているのは道士服。でも自分のではない。どこかで見たような気はするのだけど。
髪は解いた状態で肩にかかっている。でも、自分の髪はこんな色だっただろうか。
樹上から、西岐の城は見えていた。
状況がよく分からないが、とにかく、そこまでは戻らないと。
行けば、きっと何か分かるに違いない。
気を取り直して、太公望はそちらに足を向けた。
***
門の兵士に取次ぎを頼むと、彼らは、いぶかしげな、あからさまに怪しんでいる顔をした。
先日挨拶して、太公望の顔は知っているはずなのに。
きつく、ここで待てと言われてしまい、不安なまま仲間が現われるのを待つ。
知り合いが来てくれれば、きっと状況が分かる……はずだ。
かなり待たされてから、見慣れた姿が目に入った。
――嬋玉と白鶴だ。
よかった、彼らなら話が早い。
だが、二人の目が、何故か鋭い光を帯びているのは気のせいだろうか。
まるで、敵を前にした時のように。
声をかけるより先に、
「何の用?」
嬋玉が冷たく言い放った。
いつもの彼女からは想像もつかないくらい、突き放すような言葉。
「太公望さんは、忙しいの。用ならさっさと言ってくれないかしら」
自分が……何?
戸惑う太公望に、白鶴が追い討ちをかける。
「またししょーにちょっかい出そうっていうの? いいかげんにしないと、元始天尊様に言いつけるわよ!」
「嬋玉、白鶴、一体何を言って――」
彼女たちの様子に驚いて理由を尋ねようとするのだが、二人は聞く耳を持たない。
「何よ、やろうって言うのなら、あたしが相手してあげるわよ」
「あんまりしつこいと嫌いになっちゃうからね、申公豹様!」
……申公豹だって?
混乱にとどめを刺すようなその名前。
それで、ようやく気づく。
自分が着ている服。
見覚えがあると思ったら、あの風来坊の道士、申公豹が着ていたものだ。
ということは、まさか……。
「申公豹さん、何かご用ですか?」
「あ、太公望さん」
「ししょー!」
二人の背後から現れた道士。
他の人から見るとこんな風に見えるのか。
確かに、女の子二人のパワーに比べてなんとも頼りない……なんて自己嫌悪している場合ではなくて!
「あ、あのっ!」
「用事がないならお引取りください。……いくよ、白鶴、嬋玉」
「はーい!」
「ししょー、待ってー」
後を追おうとしたが、怪しい者は入れぬとばかりに、門兵に城門を閉められてしまった。
途方に暮れて、街を歩き出す。
これは申公豹の魂換だろう。
先日、嬋玉と天化が悪戯されたように。
まさか、自分と取り替えてくるとは思わなかった。
術の効力が切れれば戻れるだろうが、術者本人が仕掛けているとなると、効力は他人より長いのではないか?
西岐に攻めてくる九竜の道士や妖魔たちのことも心配だが、それ以上に、「自分でなくても全然大丈夫だった」なんてことになったら……
立ち直れない。
よろよろと歩いていると、街角で人とぶつかりかけた。
「あ、すいません」
「失礼……って、てめえ、申公豹!」
聞き慣れた声。
「まだうろちょろしてやがったか。いい加減にしないと……」
天化だった。
見知った顔と会えて嬉しくて、笑顔を作りかけたのに、相手は莫邪宝剣を抜きかけて、臨戦態勢。
天化も分かってくれない。
とうとう太公望はその場にしゃがみこみ、泣き出してしまった。
***
驚いたのは天化の方だ。
あの申公豹が泣いている!?
それになんだ、あの目は。
あれじゃまるで、うちの頼りない大将のような……
そこでようやく気づいた。
姿はどうみてもあのはぐれ道士だが、中身が違うのでは。
そう、先日の自分と嬋玉にしかけられた悪戯のように。
しかもこの反応からすると思い当たるのは。
「もしかして……太公望か?」
恐る恐る声をかけると、両手に顔を埋めていた申公豹が、うるんだ目を向けた。
(うわー、こりゃ間違いない)
確かに、見かけは元々中性的な美形ではあるのだが。
あの高慢ちきで鼻持ちならない自信家の申公豹が、『可愛く』見えるのだから驚きだ。
中身というのは思ったより外面に影響するらしい。
「不気味だから、その顔で泣くな」
「だってぇ〜、誰にも気づいてもらえなかったんだよう」
不安の反動で、八つ当たりの不機嫌さと甘えたような響きが入り混じった口調。
……申公豹だと思うとつくづく気味が悪い。
だが可愛い。
「分かった、分かったから」
うるうる目で見つめられると一気に力が抜ける。
「城で「お前」を見かけたぞ。申公豹のヤツ、うまく振舞ってるみたいだな」
「嬋玉と白鶴は信じちゃってて、門前で追い払われた……」
「お前な、仮にも大将なら、あんなヤツに負けてんじゃねぇよ。……って、相手が悪いか。―― 一日もすれば魂換の効果は切れるようだが、それまで放っておきたくはないんだろ?」
「うん……申公豹さんが、ぼくの身体で一体何をするか心配で心配で」
「嬋玉や白鶴に、下手に睦言なんか言った日にゃ、襲われるかもな」
申公豹の姿で、さーーーっと青ざめる太公望。
(ホントにこりゃ間違いなく太公望だ)
こんなことで確信できる個性というのも情けないものがあるが。
「俺が連れて行けば、城に入るのは簡単だけどな。どうやってヤツを追い出すかってのは……」
悔しいが、はぐれ者のくせにあいつは術力だけはピカ一。
魂換自体、操れるのは本人だけだろうし、捕まえたとしても一体どうしたものか。
「術をかけた本人なら、簡単に戻せるのだろうけど……」
「申公豹を説得ってか? ムリだな」
「ぼくもそう思う」
「かと言って、ここで座り込んでても、状況変わらねぇだろ。行くぞ」
うーんうーんと対策を考えてはいるらしい太公望を引きずって、天化は西岐の城へ戻った。
***
『太公望』は堂々と大将に与えられた部屋でくつろいでいた。
手にしているのは白鶴や嬋玉に運ばれたお茶とお菓子だろうか。
「おい、お前、申公豹だろ?」
「なんのことだい?」
「いいかげんにしろよ。さっさと元に戻れ」
「言いがかりはやめてくれないか、天化君。それに、城に入る許可は出していないと思うけどね、『申公豹』君」
戻らないつもりだな、こいつ。
口調がすでに『申公豹』だっつーの。
睨む天化の後ろで、しくしく泣いている『申公豹』。
「おい、『太公望』。ちょっと面白いことがあるから見てろよ」
廊下を通りかかった人物を見て、天化はにやりとした。
「おい、竜鬚虎」
「呼びましたかいな?」
馬かロバかラクダかという不思議な風体の者が、何事かと寄ってくる。
「お前確か、申公豹が好みだとか言ってたよなぁ」
「はいい?」
「ええっ?」
当然仰天する竜鬚虎。(と、『申公豹』の太公望)
「言・っ・た・よ・な?」
莫邪宝剣に手を添えて、否定しようものなら両断されそうな笑顔に、竜鬚虎は訳が分からないまま、ぶんぶんとうなずく。
「おめでとう、こいつもお前のこと好きだってよ」
問答無用で『申公豹』を前に押し出す。
「さぁ、遠慮しないで接吻でもしてやれよ」
『申公豹』は涙目でじたばたするが、ぐいぐいと問答無用で押し出される。
竜鬚虎も逃げ出したものかときょろきょろしていたが、これは何かの趣向だとでも思ったのだろうか。
顔だけは美形の申公豹に触れる機会が出来て、らっきーとでも思ったか。
逆に乗り気になって、元々突き出している口をさらに尖らせる。
人間ですらない唇を目前にして、太公望入りの申公豹が気絶しかけた時だった。
「や、やめたまえーーーーっ!」
切羽詰った声と共に申公豹入りの太公望がこちらへ走ってきた。
そして――。
どーん!
凄まじい音と共に放たれた術に、竜鬚虎が吹っ飛んだ。
顔前で印を組んだ申公豹が、肩で息をしながら叫ぶ。
「ちくしょう、覚えていたまえよ、黄天化!」
窓へ駆け出し、見計らったようにやってきた黒点虎に飛び乗って去っていく。
名指しされた方は走る途中で行き倒れた太公望を受け止めて、大笑いしている。
あの悪戯するのが本業のようなエリートに、慌てた顔をさせただけでも今回は有意義だった。
「うーん、天化、申公豹さんは?」
「おう、戻ったようだな。……逃げたぜ」
「すごい勢いで放り出されたよ。――確かにうまくいったけど……ひどいや、何もこんな方法とらなくたって」
「効果てきめんだったろうが」
「そりゃそうだけど……怖かったんだからねーーーっ!」
涙目で喚く太公望。
面白い。違う顔なのに、やっぱり中身が同じだと同じ人間に見える。
「まぁ、終わりよければすべてよしってな」
「よくない〜っ、天化のばかばかばか〜」
毎度おなじみの、とても大将とは思えない苦情っぷりに、こうじゃないとな、と天化は苦笑する。
とりあえず、元に戻ってよかった。
今回一番可哀想なのは、状況も分からないまま利用され、ふっとばされて目を回している竜鬚虎であることに、反対を唱える者は多分いないだろう。
END
嬋玉と天化の「魂換」を書いた頃に、一緒に思いついたのがこの話。
もう少し申公豹さんの悪戯っぷりを書いてみたい気もしたのですが、あまりやりすぎるとししょーが立ち直れなくなりそう。
天化さんの荒療治、いかがだったでしょうか。
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