「逃げ出した花嫁」
久しぶりに訪れた鎬京の都。
大きな戦乱を経たものの、その後順調に復興を成し遂げている。
その中心核として活躍しているであろう友人の様子でも見ていこうと、太公望は大通りに向かう橋を渡っていた。
行き交う人がふと途切れた時だった。
一人の娘が水面を見つめていたかと思うと、いきなり飛び込もうとしたのが目に入った。
「おやめなさいっ!」
あわてて娘を引きずり戻す。
「身投げなんて……ご両親が悲しまれますよ!」
「その両親が、私を地獄へ落とそうとしてるのですわ!」
大仰な叫びに驚き、一体どういうことのなのか、尋ねてみる。
すると、娘は目元を押さえながら語り始めた。
「私……お見合いすることになったのです」
「それはおめでたいことではありませんか」
「とんでもない!」
娘は大げさに身を震わせ、自分の不幸を嘆いた。
「その方は……野獣のように猛々しく、妖魔のように恐ろしい姿で、妖術を使う、それは恐ろしい男だそうです! 私、そんな方に嫁ぐくらいなら、死んだ方がマシです!」
「そんな恐ろしい人が鎬京に? 貴女もそんなに嫌なのなら、何故断らないのです?」
「父の方からこの縁談を申し込んだのです。その方は、とても身分が高いのだとか。もし選ばれてしまったら、私がお断りできるはずがありませんわ」
「そんなの政略結婚じゃありませんか」
「ええ、その通りです。女はいつも政治や金儲けの道具なのです!」
言って、よよよ、と泣き崩れる。
悲しいのは本当なのだろうが、自分の不幸に酔ってしまうタイプのようだ。
「ああ、こんな美貌に生まれたのがいけなかったのですわ。私、後世に卑しい女と名を残すよりも、ここで身を投げて貞操を守ります! 旅の方、さようなら!」
「お待ちなさいってば!!」
橋の欄干から身を乗り出す娘を引っ張り戻す。
「分かりました、ぼくがなんとかしましょう」
「え!? でもどうやって?」
「ぼくは少々術を心得ています。その方にお会いして、諦めていただくように術をかけるのです。そうすれば貴女の名にも傷がつかないでしょう?」
「まぁ、そんなことが……ええ、では是非お願いいたしますわ! さぁ、早く!」
さっきまでの嘆きはどこへやら、娘は先に立って、救い主をせかす。
太公望はひきずられるまま歩き出した。
* * *
これからすぐに見合いだというので、仕方なく彼女の代わりに輿に乗った。
自分の周りには幻惑術を張り巡らせている。
辺りの者にはあの娘の姿に見えているはずだ。
連れて行かれた屋敷に、太公望は声を失った。
覚えがあるどころではない。
(それじゃ、見合いの相手の野獣のような男って……)
屋敷の奥へ奥へと導かれ、最後に入った広間で膝をつく。
その正面、上座の方に、屋敷の当主とその息子がいた。
(天化だぁ〜っ)
心の中の悲鳴が聞こえたかのように、不機嫌そうに横を向いていた目がこちらを見た。
じっと見つめられてひやりとしたが、そのまま、またあさっての方を向いてしまった。
係の者が、娘の家柄や略歴などをとうとうと述べている間に、なんとか術を使おうと狙っていたのだが、離れすぎているし目が合わないと難しい。
第一、一応幻惑術の心得のある天化に、うまく効くかどうか。
焦っているうちに、連れの口上が終わってしまった。
本人以上にうんざりした顔の黄飛虎が、なおざりに隣へ「どうだ?」と声をかけた。
相当同じやりとりを繰り返したのだろう。
係の者はもう、「彼女」を部屋の外へ送り出す体勢になってる。
なんだ、これなら身代わりになる必要もなかったではないか。
ほっとして、そそくさと退散しようとした時。
「決めた、そいつにする」
「そうか、ではお引取り願……って、なんだとぉ!?」
「耳が遠くなったのかよ」
「聞こえておる! そうではなくて……本気か!?」
「なんだよ、何かまずいのか」
「い、いや、そういうわけでは……」
「そいつは俺の部屋へ。――これでもう見合い話は終わりだぜ」
「それはもちろん、わしも願っても無いことだが……おいっ!」
予想外の展開にうろたえる父親を無視して、いつも以上に厳しい表情のまま、天化は奥に消えてしまった。
呆然とへたり込む「娘」を残したまま……。
* * *
(なんでこんなことになっちゃったんだっけ?)
ぺたんと座り込んで、深いため息。
(なんかお布団まで敷かれてるんだけど)
どうあっても若当主に身を固めてもらいたい家人が、気を利かせたらしい。
正体を明かせば逃げることは当然可能。握りこぶしの一つくらいは覚悟しないといけないが。
しかし……
天化が「彼女」を選んだのは事実。
今回のことは笑い場話になるとしても、改めて、彼女が呼ばれるだろう。
望まれた縁談だ、誰もが喜び祝福するに違いない。
彼女も、天化本人に会えば、噂は当てにならないものだと思い直すかもしれない。
――胸の奥が、きり、と痛む。
道士の修行はどうするのだとか、世界一の剣の使い手の目標はどうしたとか。
自分の中のもやもやとした怒りの理由を探してみるのだが、そんなことは建前で、どれも違うような気がする。
ここにいるのが、自分ではなく彼女であったら、きっとこのまま……。
そう考えた瞬間、目の奥が赤くぼやけた気がした。
喉を押さえられたように、息が苦しくなる。
「おい」
いきなり背後から声をかけられて、悲鳴をあげかけた。
会いたいと思っていたのに、今は聞きたくなかった声。
思わず振り返りざま、幻惑術を投げつける。
「春眠……むぐっ!?」
「そんなのかかるかって」
口をふさがれ、手も捕らえられては術が使えない。
「で、なんの冗談だ、これは?」
からかうように言われて、ようやく相手が自分を誰だか分かっていることに気づいた。
「……いつから?」
「最初からに決まってるだろう。……笑いこらえるのが大変だったぜ」
どうやら、難しい顔をしていたのは、爆笑するのを我慢していたらしい。
「色々訳があるんだっ」
「どうせ、行きずりの女にでも泣き言を言われて、任せとけとか言ったんだろ」
ずばり言い当てられて、ぐうの音も出ない。
術を解き、どうせどうせと落ち込む横で、どかっと座り込む天化。
「まぁ、このバカ騒ぎを終わらせるいい機会だ。ありがたく利用させてもらう」
「バカ騒ぎ?」
「とにかく相手決めろってうるせえんだよ。既成事実作っときゃ、とりあえず静かになるだろ」
「はぁ、それで……」
「下手な奴選んだら、本当になっちまうからな。誰を協力させるか考えてたのさ。いいところに来てくれた」
「選んだのは黄飛虎殿も聞いてたわけだから……ぼくがこのまま姿を消せばいいわけか。でもすぐに本人が呼ばれるだろう?」
「その娘のところには、うちの女官を一人送ってある。今夜、ここに来ていないことを証明できれば、俺といたのは、正体不明の謎の女、というわけだ」
「……天化って、こういうことだけは、すごく頭が回るよね」
「だけは余計だ」
いつもと変わらぬ軽口に、急に気が楽になる。
自分だけに向けられる声が心地よい。
今まで、自分が特別であれば、それでいいと思っていた。
けれど、それだけでは足りなくなっていることを自覚してしまった。
他の誰にも渡したくない。
自分だけのものでいて欲しい。
「おやすみ。できるだけ寝相悪く寝といてくれ」
笑いながら出て行こうとする袖を、後ろから掴む。
「一人にする気かい?」
独り言のように呟いた言葉は、自分の声とは思えないほど艶っぽかった。
* * *
翌朝、件(くだん)の娘の姿が消えていたので、屋敷は大騒ぎだった。
当の天化は平然と欠伸しまくっていたが。
その家族が泊まっている宿屋を探し出し、同じ名前の娘をさらうように連れてきた。
確かに皆の記憶にある姿は彼女そっくりであったが、
「俺のところに来たのはその娘じゃなかったぜ」
天化の指摘に、ぱっと娘に注目が集まる。
「うむ……確かに違うな。もっと美人だった」
黄飛虎の言葉に、なんですって、と娘が目をむいた。
結局、天化が頼んでいた女中の証言もあり、昨日のは彼女ではないということが確定した。
「俺の花嫁はどこ行ったやら。結婚するには、まずあいつを見つけないとなぁ」
いやあ、残念だとわざとらしく言っている若当主に、今回に賭けていたらしい老家臣と女中頭がおいおいと泣き真似をしている。
「……貴様、何か仕組んだな?」
「俺は何もしてないぜ」
ニヤリとして席を立つ息子をじろりと見たものの、黄飛虎はそれ以上言おうとはしなかった。
元々好きでもない相手を選ばせるつもりなどない。ただ、なんとか家にひきとめようと必死になっている家人たちの手前、一応自分も努力したという形を取らないと何かとうるさいのだ。
もちろん、大勢と会えば一人くらい気難しい息子の気に入る相手もいるかもしれないという期待がなかったわけではないが。
結局のところ、仙界にまで家出してしまうような息子の目に適うのは、そこらの普通の女性では無理なのかもしれない。
いつになく上機嫌の天化に、やれやれとため息をつく。
「それにしても、昨日の娘御はどこの誰だったんだろうか」
「さてね。……意外とよく知ってる奴かもよ」
白々と言ってのけた言葉に、再び旅の空の下にいる道士が、小さくくしゃみをした。
END
ウラのご依頼があったので、ちょっとリハビリ……。
天化本人と会った娘さん、
「え? この人が? だ、誰よ! 化け物みたいだなんて言ったのは!!」
と怒り狂っていたりして。
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