水琴窟(すいきんくつ)


蓬莱宮で、耳にしない音があることに気付いた。
雨の音だ。
蓬莱山は高く、宮は雲海の広がるさらに上にある。
霧が立ち込めることはあっても、地上のような雨が降ることはほとんど無い。

雷鳴と共に、叩きつけるどしゃぶり。
畑を潤す恵みの夕立。
全身をしっとりと濡らす小糠雨。

雨に特別の思い入れがあるわけではない。
逆に、行軍できずにやきもきしたことや、突然の雨でずぶぬれになり風邪をひいたことが思い出される。
それなのに。
聞けないとなると、あの音が無性に懐かしく思えた。
「雨音が聞きたいな」
ぽつりと呟いた言葉は、誰に向けたものでもなかった。
もちろん、隣で眠る宮の主に言ったつもりもなかった。
雨代わりに、虫たちの奏でる声へ耳を傾けながら、眠りに落ちた。

***

目覚めると、そこは蓬莱宮の一室ではなかった。
薄闇の洞窟。
壁は何万年もの時をかけて作られた、乳白色の鍾乳石。
柔らかな苔で出来た豪奢な寝台。
身を起こすとふわりと夜光虫が飛び立つ。
遥か頭上の岩の隙間から、かすかに差し込む月の光。
柔らかなヴェールのように、洞窟内に差し込んでいる。

天井から下がる、氷柱のような鍾乳石から雫が落ちる。
涼やかな音が散った。
続いて、他の水滴も次々に落ち、美しい音色を響かせる。
天界にも神界にも存在しない、人界ならではの天然の水琴窟。
心行くまでこの自然の芸術を楽しめるよう、一人にしてくれたのだろう。
かけてあった柔らかな布には、安息香が焚き込められていた。
その心使いに感謝し、澄んだ水音に耳を傾ける。

いつ、迎えに来てくれるのかな。

姜公は、木気を慕い寄ってくる夜光虫と戯れながら、月の光の差し込む天上を見上げた。

***


月の光はやがて薄れ、
東の空が薄紫に染まり、
紅の朝焼けが闇を払う。

やがて三界を見守る太陽が、大地を明るく照らし出した。


「遅すぎる!」

昼過ぎになって恐る恐る顔を出した炳霊公に、姜公は、特大の雷を落としたのだった。


END



待っている間の姜公の、
「綺麗な音だな〜(喜)」
「遅いぞ、何をやっているんだ!(怒)」
「戦いでもあったんじゃ…(哀)」
「覚悟しておけ(楽 というか、開き直り)」

という百面相を想像しつつ、どうぞ。
炳霊公が遅くなった理由は「水簾洞」にて。


【水琴窟(すいきんくつ)】
江戸中期の茶人、小堀遠州が発明したといわれる日本庭園の仕掛けの一つ。
瓶の底、上部にあたるところに穴を開けた瓶を逆さにし、地中に埋める。
底の水に水滴が落ちて、洞窟の中で水が反響するように音色が響く。



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