狐草紙
星が落ちた。
自分が物心ついた頃から、変わらず輝いていた星が。
いつかこの日がくると分かっていた。
だが、こんなに早く。
こつこつと磨いてきた霊力も、蓄えてきた知識も、行く先を失ってしまった。
目標が消えてしまった喪失感。
これも戦禍の絶えぬ人の世の定めか。
小さく溜息をつき、星辰は空を見上げることを止めた。
――数日後。
「星辰さま、星辰さま」
「お客がきてるです」
ようやく人型を取れるようになった子狐たちが、押し合いへし合い、報告に来た。
「ぼろぼろで汚いけど」
「きれいなねこさんでし」
猫?
歳を経て霊力を高めた動物が、人型を取ること自体は珍しくない。
だが、そういったものは同じ種族の村落に集まるか、用心して単独で生きるものだ。
特に猫族は、その気質から孤立した暮らしを好む。
他種族を訪ねるというのは珍しい。
里の入り口から入ろうとしない、という来訪者を迎えに出て、星辰は少し驚いた。
ここへ来るまでの間、一体どんな生き方をしてきたのか。
色鮮やかであったであろう錦の着物は泥にまみれ、月明かりを映す銀であるはずの髪は乱れ放題。
獲物を睨みつけるような細い瞳だけが、鋭く煌いていた。
「あんたが星辰?」
若い猫鬼の娘だった。
まだ子供にしか見えないが、彼女を取り巻く霊気はとても強力だ。
しかし、不安定に揺れ、茨のように尖っている。
怒りに喚き出しそうな、今にも泣き出しそうな。
表情は硬く凍り付いているのに、攻撃的なその「気」は燃え上がる炎のようだ。
「天化さまが死んだってホント?」
この言葉で、彼女があの人の知り合いなのだと分かった。
そして、やり場のない感情の嵐を理解することができた。
「本当だ。先日、天化様を司どる星が墜ちた」
まだ若い猫鬼は、唇を噛み締めて、足元をじっと睨みつけていた。
そして、ぽつりと呟いた。
「やっと……やっと人型になれたのよ。それなのに、あんまりじゃない。あたし、まだこの姿見せてない! まだ話してない!」
悲しみよりも、悔しいという思いが、制御できぬ霊気となってあたりを奮わせる。
泣くことさえプライドが許さず、地に爪を立てて堪えている猫娘の姿に、自分でも思ってもいなかった言葉が出た。
「もう一度お会いする方法が、ないこともない」
星辰の言葉に、猫鬼がきっと顔を上げる。
「天化様は神界の要となる運命をお持ちの方だ。魂魄は封神されて、神界に渡る。天化様がこちらに来られないのであれば…」
今まで考えてもいなかった手段。
そう、まだあの人に会える可能性はあったのだ。
「あたしが神界に行けばいい」
後を続けた猫鬼の声に、もう迷いはなかった。
道を見つけた者の力強さ。
少しでも希望があるのなら、絶対にあきらめない。
でも、どうやって?
「天界に認められるだけの霊力と能力を身に付けて、志願すればいい。ただし、生半可な挑戦では、天界に仇なす身のほど知らずとして処分される可能性もある」
「一か八かってワケ?」
天界の敵と見なされれば、そちらへ行くどころか、輪廻の流れからさえ追放されることになりかねない。
それでも。
「やってやろうじゃない」
きっぱりと言った口元には、不敵なかすかな笑みすら浮かんでいる。
「君の名前は?」
「マオルよ」
「……? 猫族であるのは分かっている。名前は無いのか」
「これがあたしの名よ! 天化さまがつけてくれた名前に何か文句があるわけ!?」
星辰は内心苦笑した。
あの人が、色々な名前を考えて考えて、結局面倒になってそう呼んだ……のが目に見えるようで。
「それは失礼した。ではマオル、同じ道を目指す者として、君を歓迎しよう」
「結構よ、霊力を上げる訓練だけなら、あたし一人だって……」
「我流でがむしゃらにやっても、たいした力にはならないぞ。年月をムダに過ごすか?」
他人に頭を下げるということを何よりも嫌いそうな猫娘が、苦虫を噛み潰したような顔で、仕方なくうなずく。
「まずは、身なりを整えることから始めないとな」
星辰が手を打ち鳴らすと、周りを囲むように見物していた者たちが、わらわらと現れた。
一斉に、客人を担ぎ上げて、里に運び込む。
その夜。
狐の里では、風呂嫌いの猫の悲鳴が、断末魔のように響いていた。
***
「くぉの、澄まし顔の意地悪狐!」
渾身の攻撃を、さらりとかわされた上に反撃された猫鬼の娘が、がばっと飛び起きたものの、その場にへたりこむ。
「いつか殺してやるわ!」
身体がついていかなくても、口だけは達者だ。
「楽しみにしているよ」
生まれつきに霊力が高かったのだろうが、ここ数ヶ月でのマオルの能力の伸びはすさまじいものがあった。
特に、闘いに関しては天才的で、すでに狐の里では星辰以外に相手がつとまらなくなっていた。
「手当てしてやってくれ」
「さわるんじゃないわよ、ちょこまか狐共! 手当てくらい、自分で…できるんだか……」
ぱたり、と倒れた猫鬼を、恐る恐る眺めていた者たちが取り囲む。
子狐たちは、猫娘の気性の激しさにびくびくしながらも、狐族ではあまり見かけない綺麗な銀髪が大好きだった。
「さらさら〜ふわふわ〜」
撫でたり、結い上げたり。
寝ている間に遊ばれた怒りが、後に星辰に向くのだが、それも訓練のうちになっていた。
***
狐の一族は、天とのつながりが強い。
仙狐として認められた星辰は、すでに神界へ行く資格を得ていた。
それに比べて、猫族はつながりが無に等しい。
気まぐれで人の命令に従うことを嫌う性格が、天での職務とは相容れぬからだ。
わがままで礼儀知らずの猫娘に、神界へ出入りする資格をもたせるにはどうしたらよいか。
色々手段を考えてみるのだが、どうしても本人の行動で何もかもおじゃんになるのが目に見えている。
さて、どうしたものか。
星辰が、自分のためにあれこれ思索しているとは夢にも思わぬ猫娘は、日課とばかりに、星辰へ攻撃をしかける。
「今日という今日は決着つけるわよ! 覚悟!」
すでに、目的が違ってきてしまっているようだ。
土が吹き飛び、クレーターのような大穴が残された。
――その日、天帝の使いが狐族の里を訪れていた。
目前での狼藉である。
天軍の兵士達が、乱入してきた猫娘を捕らえるべきか、おろおろしている時だった。
星辰はひょいと猫娘の首根っこを捕らえ、進み出た。
「このように、この者は戦闘能力に秀でております。何卒、神界での妖魔退治の任にお引き立ていただきますようにお願いいたします」
足元には、マオルの爪でとどめを刺された巨大化したカブトムシのような妖魔が倒れている。
(何? なんなのよっ!?)
口を押さえられた上に、一緒に頭を下げさせられて、マオルがじたばたする。
しばらくして、それなりに位の高いらしい者がにっこりと笑った。
「これは頼もしい。今度私の月李園の見張りを頼もう」
この一言が混乱しかけていた部下たちを治め、星辰の請願の了承となった。
深々と頭を下げる星辰と、ぽかんとしたまま天に帰っていく一行を見送るマオル。
いつも通り、霊力の訓練がてら星辰を攻撃しただけなのに、何か全然違うことに巻き込まれていたことにようやく気付いたマオルが呟く。
「この性悪狐。神界へ行ったら、あんたの腹黒さをばらしてやるわ。絶対感謝なんかしないからね!」
足元の、カブトムシ…であったものを蹴飛ばす。
それはばらばらと崩れ、ただの木片と化した。
「猫頭の君は、三歩で忘れると思うよ」
「なんですってぇ!?」
情け容赦なく振りおろされた爪は、またもや空を切った。
その後、神界へ入った猫娘は、探し続けていた主の姿を見つけ、何を怒っていたのか、本当に忘れてしまったのだった。
ついでに、ほんのちょっとだけ覚えていた星辰への感謝も忘れてしまった。
***
「くっらえー!」
片付けようとしていた花束が、身代わりになって粉々になった。
また掃除しなくては、と溜息をつきつつ、星辰が呟く。
「やれやれ……外面似菩薩内心如夜叉というが、君の場合は、外面も夜叉だな」
「余計なお世話よ!」
あれから1800年。
故郷の同族たちよりも、さらに長いつきあいになった猫鬼は、相変わらず隙を狙っては攻撃をしかけてくる。
時折頬をかすめる爪に、ひやりとすることも増えてきた。
けれど、そこはポーカーフェイスを崩さず、まだまだ甘い、と軽く受け流す。
「いつかやっつけてやるんだからね、この古狐!」
「はいはい」
この猫娘がいなかったら、自分は神界を目指すこともなかっただろう。
人界であれ、神界であれ、単調な日々であったに違いない。
未だに命がけの日常を提供してくれる猫娘をちらりと見、星辰は肩をすくめて落ちた花を片付け始めた。
END
この二人、長いつきあいですが、決して仲がいいわけではありません。
特にマオルは、本気で倒す勢いで星辰を狙ってます。
修行時代のスパルタがよほど悔しかったのでしょう。
現在、二人の能力はほぼ互角ですが、先読みが鋭い分、星辰が一歩リード。
星辰は、常に上に立てるよう、見えないところで修行を怠りません。
また、マオルは役職や名声にまったく興味ありませんが、星辰はいざという時に使えそうな立場はとことん利用するという目的で、着実に地盤を固めています。
この辺り、性格が出ますな。
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