怖い怖い鼠の話
川原の葦(よし)の茂みに、鷹が舞い降りた。
小さな悲鳴を聞いたように思って、思わず目を閉じる太公望。
鷹が、小さな生き物を食べるのは、自然の摂理。
それは十分理解している。
だが、目の前で命が失われるのを見るのは、やはり辛い。
「……逃げられたみたいだぜ」
その声に、恐る恐る目を開ける。
狙われたのは、葦に巣を作る蚊帳鼠だった。
「怪我してないかな」
逃げられても、爪にかかって苦しんでいるのではないだろうか。
茂みをかきわけて捜してみると、小さな小さな鼠が落ちていた。掌の半分ほどしかない。
あわてて拾い上げるが、特に怪我をしている様子はいないようだ。
「気絶してる」
敵に見つからぬよう、動かなくなる。
それが小さな生き物なりの生きる知恵なのだろう。
「お前、鼠は平気なんだな」
小さな毛玉に顔をほころばせている太公望に、天化が面白そうに言う。
「平気だよ。可愛いじゃないか。なんで?」
「いや、鼠が苦手な奴がいたような気がして……」
「太公望さんっ!」
突然響いた、悲鳴のような声。
「そ、それ! 危険よ、早くどこかに投げて!!」
「嬋玉? それって、この鼠のことかい?」
太公望が掌に目を落とした拍子に、手が傾いてちょうど鼠が嬋玉の目に入る位置になった。
「きゃああああっ!」
再び嬋玉の悲鳴。
鼠が苦手なのは嬋玉だったか。
あいつにも、そんな女らしいところがあったんだな、と妙に感心して眺めてしまう。
「太公望さんっ、それは小さいけど、すっごく凶暴なのよ! 人の耳を食べちゃうし、叩くと増えるんだから!!」
「ふ、増える!?」
嬋玉の叫びは訳がわからないが、どこかで聞いたような気もする……
天化は記憶を手繰って、ようやく思い出した。
***
年に数度訪れるケ九公殿は、公務を終えて、今頃は父親と酒盛りだろう。
問題は、一緒に来ているお転婆娘だ。
四つ年下の豆台風。うちの弟たちを手下にして、屋敷を探検しているうちはまだいい。
黄家の後継ぎだけが知らされるはずの裏回廊、地下の隠し通路を発見し、勝手に部屋に入ってくるのが迷惑だ。
こちらは、家から出る時のために、詰め込めるだけの知識を得ようと努力中だというのに。
ことことこと……。
天井から小さな音がする。
きっと鼠だろう。
金持ちの家でも、鼠だけは駆逐できない。
奴らときたら、退治する以上に増えるのだから。
天井といえば、そこにも黄家の隠し通路がある。
あの豆台風娘に発見されるのも時間の問題だ。
そんなことを考えていた時だった。
「天化、勝負!」
今日の豆台風の訪れは窓だった。
そろそろ窓も封鎖するべきか。
振り下ろされた木刀を受け止めたものの、その後ろから投げられた網は避けきれなかった。
……最近、一応「戦略」というものも考え始めているようだ。
手を貸しているのが、困った顔をした弟たちなので、怒鳴りつけることもできない。
「ねぇ、部屋の天井に、動く板を見つけたの。きっと隠し通路だわ。後で探検するの」
やはり見つかったか。
寝ている時に、上から降ってくるのは遠慮したい。
天井に、苦手な生き物でもいれば、あきらめるのだろうが……怖いもの知らずの幼馴染には、苦手なものなどなさそうだ。
そこでちょっとひらめいた。
苦手なものがないのなら、作ってしまえばいい。
「おい、嬋玉。鼠って知ってるか?」
「もちろんよ。ちょろちょろしてて可愛いじゃない」
「あいつらはな、見かけは小さいが、すっごく凶暴なんだぞ」
珍しく真面目に話すと、嬋玉はびっくりした。
「そ、そうなの?」
「ああ、その上、寝ている人間を見つけると耳を食いちぎっちまうんだ」
「やだ、いったーい! なんでそんなのを走り回らせとくのよ! 退治しちゃえばいいのに!」
「あいつらが、どうしてあんなにたくさんいるか知ってるか? ……退治しようと叩いたり、切ったりすると、増えるのさ。倍々にな!」
「いやぁっ!」
「だから、天井には……」
「きゃーー! お父様〜っ!」
思ったよりも、効果があったらしい。
話を終える前に、嬋玉は父親のいる部屋の方へ駆け出していってしまった。
「兄上……そんな嘘を教えたら、後が怖いですよ?」
天爵が殊勝に、兄を諌める。
だが、久方ぶりに勝利した兄は、大爆笑していた。
窓は木の簾に替えた。
床の抜け穴は釘で打ちつけた。
天井も、あの様子なら使うことはないだろう。
これで、ゆっくり調べものができる、と思ったのだが。
翌日から、豆台風の進路は、正面入り口になっただけだった。
***
あれからどれだけの年月が経ったものか。
(……そんな嘘を教えたら、後が怖いですよ?)
天爵の言葉がやけにはっきりとよみがえる。
「……というわけで、嬋玉。鼠ってそんな不思議生物じゃないよ? いたずらしたら、噛み付くくらいはするかもしれないけど」
太公望が、「鼠とは」を講釈していたらしい。
恐る恐る振り返ると、案の定。
それはそれはおっそろしい顔で、幼馴染がこちらを見ていた。
「て〜ん〜か〜ぁ」
般若ってのは、こんな顔か?
「あんた、あたしをだましたわねぇっ!」
構えられたのは五光石。
いつもなら、修行を兼ねて相手をしてもよいのだが、今日はさすがに立場が悪い。
容赦なく投げつけられる石と、敵を焼き尽くすはずの五火神焔扇。
掌の上で目を覚ました鼠と一緒に、太公望は草原が焼け野原になっていくのを呆然と見守るしかなかった。
おわり
封神2の広場会話に、昔話をつなげてみたりして。
ケムシをあったかそう、ムカデを微笑ましいと言ってのける嬋玉の唯一の弱点は鼠!
しかも、それを教え込んだのは天化さん……。
こんな美味しいネタが残っていたとは(笑)。
黄家の若君、やられっぱなしではなかったようです。
遥か未来に、利息をつけて仕返しされておりますが。
おわり
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