以心伝心
本陣の片隅で愛剣の手入れをしていた天化は、手にとった油の小瓶が軽いことに気づいた。
いや、前から気づいてはいたのだが、洞府へ行く暇がなかったのだ。
後で、師匠に分けてもらいに行くか。
「おい」
書簡の整理をしている大将に声をかける。
戦況が落ち着いているとはいえ、陣を抜けるのは知らせてからの方がいいだろう。
そう思っただけだったのに。
ほてほてと近づいてきた太公望の言葉は、「何?」ではなかった。
「はい、これ」
渡されたのは、手にしていたのとよく似た小瓶。
揺すってみると、水よりもゆったりとした液体が入っているのが分かる。
油だ。
なんで分かったんだとか、人界の油では莫耶は磨けないとか、言い返す前に。
「道徳真君様からいただいた油だよ。それでいいんだろう?」
違った? と首をかしげる。
「いや……合ってる」
「そろそろだと思って、もらっておいたんだ」
「……謝々」
狐につままれた気分で、珍しく素直に礼を言う。
前に、どこかでこんな場面を見たことがあるような、妙な気分だった。
***
「さて、と。終わった」
書簡やら、確認した補給物資やらが机に山積みになっている。
これらは倉庫の天幕に移しておかないといけない。
布で半分ずつに分けて包んだものの、とても一人では……。
その片方がひょいと持ち上がった。
「運ぶんだろ?」
「うん」
これを予想して、本陣に留まっていたのか。
「謝々」
こちらから頼む前に気づいてくれたことが嬉しくて。
太公望は、ほころぶような笑顔を見せた。
***
「天祥、何笑ってるんだ?」
本陣に戻った二人を見て天祥は、くすくすと笑っている。
「だって……最近の太公望さんと兄上のやりとりって、父上と母上にそっくりなんだもの」
「はぁ?」
何を言い出すかと思えば。
「親父がお袋を怒鳴ってることなんてなかっただろうが。どっちかと言うと、親父がお袋にとっちめられて……」
「そうじゃなくて。兄上も太公望さんも、相手が何を言うか分かってるみたいで」
そう言われてみれば。
父が声をかければ、先読みした母が夫の欲しているものを言われる前に渡す、というのはよくあることだった。
父も、普段は気が利かないくせに、母が頼もうとしていることを先にやっていたり。
そういうのは、長年連れ添った夫婦ならではと思っていたのだが。
いやいや、自分が大将の荷運び程度を手伝うのは当然のことだし、太公望が回りの者に気を配るのは生来の気質だ。
きっと他の者にも、同じように対応しているに違いない。
本陣には、大将に用事のある者が次々に訪れる。
剣の手入れの続きをしながら眺めていると――。
「太公望殿」
「はい、なんでしょう、黄飛虎殿」
「次の関門での作戦ですが……」
「師匠ー!」
「大将ー!」
「はいはい、どうした?」
「仙桃少しもらっていいやろ?」
「修行してこなきゃダメ」
「太公望さん!」
「な、なんだい、嬋玉」
「今日のお夕飯、あたしに作らせて?」
「そそそそ、それはちょっと!」
……。
いきなり「はい、これ」というのは、意外とないものだ。
やはりさっきのは偶然だ。
莫耶の手入れを終え、鞘にしまおうとした時、うっかり刃に指先をかすめてしまった。
皮一枚だが、すっと血の筋が入る。
舐めておけば治るだろう程度に考えていると、術を唱える声が聞こえた。
指先に、暖かい回復術の効果。
「気をつけなきゃ。持ち主が手入れで指を落としたりしたら笑い者だよ」
「お、おう……」
その後ろで、また天祥がくすくす笑っている。
「兄上、ほらね」
「偶然だ、偶然」
「偶然も、回数重なれば必然ですよ」
こそこそ話している二人を、太公望は不思議そうに眺めている。
しばらくして、あ、そうだ、という顔になった。
同時に、
「何作るんだ」
いきなり天化が尋ねた。
「村の人たちにタケノコの差し入れたくさんもらったから、煮物かな」
突然の問いにも関わらず、太公望も自然に会話を続ける。
「今日は手伝うぜ」
「助かるよ。一人だと重くて」
「何、自分の身の安全を確保するためだ」
「え? なんの話ですか?」
驚く天祥に、天化は分からなかったか? という顔で答える。
「今日の晩飯。嬋玉が壊滅的なものを作る前に、こいつが先に作るんだろ」
「そうそう」
にっこり笑った太公望と、はっと我に返った兄の様子を見て、天祥が必死で笑いをこらえていた。
***
翌日の戦闘で、いいところを見せようと張り切っていた嬋玉が敵に囲まれてしまった。
この距離で届く攻撃といえば、朱雀剣か天地争鳴。
だが、敵の攻撃をかわして嬋玉がちょこまかと動くため、狙いが定められない。
下手に放っては、嬋玉を巻き込んでしまう。
気づいた太公望が飛び出した。
「お前たち、ぼくはここだ!」
その声に、戦功にはやる妖魔たちが振り返る。
大将を獲る機会と見て、一斉に目標を変えた。
注意をそらさなければ、嬋玉は危なかった。
だからと言って、自分を囮にするか、この大将は!
このバカと叫ぼうとした天化に、敵の第一撃を受け止めて、太公望がかすかに笑った。
その意味するところを察して、莫耶を振り上げる。
妖魔たちが太公望を倒そうと武器を構え、すべての動きが止まったその一瞬。
裂帛の剣戟に乗せた炎の鳥が、妖魔をなぎ払った。
台風の目のように、中心だけを残して。
「お見事」
「お前な……」
何事もなかったかのように微笑まれると、もう怒鳴る気にもならない。
それに、お仕置きはお転婆娘が代わりにしてくれるようだ。
「太公望さんっ、助けてくれたのね! 嬉しいっ!」
「て、天化、たすけ……」
「しばらく反省してろ」
ひやりとさせた罰として、当分放っておくことにしよう。
こういう仲間がいるのも、悪くはない。
おわり
まったく甘いシーンなしでベタ甘が書けるか、挑戦してみました。
…結構いけるもんですね(笑)