玄武の章 ―楊セン―
「あの……もし、そこの方……」
かすかな声に呼びかけられ、楊センは辺りを見回した。
「ん? どなたです?」
「ここ……ここです……」
足元から聞こえてくるようだ。
「おおっ?」
何かを踏みつけていたことに気づき、慌てて離れる。
「これは失礼しました 大丈夫ですか?」
倒れていたのは、ぼろぼろな服をまとった若者だった。
お世辞にも造形は整っているとは言えないが、愛嬌のある顔といえる。
かすれる声で、楊センに頼む。
「み、水を一杯……」
「みみずをいっぱい?」
「そんな使い古されたネタ使わないで……水を……頭に……」
言われてみれば、ぼさぼさ頭の上には皿のようなものがある。
「おや、河童君でしたか」
妖怪とは言え、困っている者を放っておくのは気の毒だ。
川まではわずか数メートル。
軽く水をすくって、頭にかけてやる。
「はぁー助かりました。このまま干からびてしまうかと思いました」
「川は目の前だというのに、一体どうしたのですか?」
「それが、子供がいたので、相撲を挑んだのです。ところが、最初の挨拶をした拍子に、皿の水をこぼしてしまって……」
「使い古されたネタですね」
「はぁ……返す言葉も……」
ぽりぽり、と頭をかく様子は、とても悪者とは思えないが。
一応、導士としては、確認しておかなくては。
「さて……もし君が、子供を食べるつもりで勝負を挑んだのであれば、私は君を退治しなくてはなりませんが……」
「と、とんでもない!」
河童がおたおたと否定した。
「私は菜食主義者なんですから!」
「菜食?」
「はぁ、キュウリなど好みです」
「なるほど、河童ですからね」
やはり害はなさそうだ。
この様子ならおとなしく川へ帰るだろうし、問題はないだろう。
「それでは私はそろそろ……」
さて、修行に戻るか。
楊センは、その場で鷲に変化する。
すると、河童が感動のまなざしで叫んだ。
「おおっ、あなたは仙人様でしたか!」
「いえいえ、まだ見習いですよ」
「ご謙遜を。ここでお会いしたのも何かのお導き。一つ相談に乗っていただけないでしょうか」
河童の願いとはなんだろう?
ちょっと興味を持って、楊センは変化を解いた。
「はて、どのようなことでしょう」
「私には許婚がおりまして……。いえ、彼女がそう言っているだけなのです。私はお断りしているのですが……」
「は、はぁ……」
どこかで聞いたような話に、思わず引き込まれる。
「彼女は気立てもよく、霊気も強く、術力もある。しかも腕も立つときています。周りからは、これ以上の縁談はないだろうと、不思議がられるのですが……」
「は、はぁ……」
さらにどこかで聞いたような。
「彼女に不満があるわけではないのです! ただ、私は一人でいるのが向いていますし、まだまだ未熟者ですから修行したいのです!」
「……分かります、分かります……!」
思わず、力をこめてうなずく楊セン。
河童氏は、苦悩の表情で続けた。
「そこで、彼女の目に触れない方法がないか、考えていたのです、彼女の気が変わるまで、いっそ会っても分からないほどの何かに……」
「なるほど、変身したい、と」
「そう、そうです!」
話をここまで聞いてしまった以上、放置するのも可哀想だ。
何より、同じような状況に陥っている者を助けてやりたいと思う。
「ふむ。これが使えるかもしれませんね。まだ試作段階なのですが……」
楊センは袂を探り、飾りのついた小さな杖を取り出した。
「マジカルへんげのつえ!」
「おお、ランダムでモンスターの姿に変わって、敵と話ができるようになるのですね!」
「それは作品が違います。これには、数回分の変化の術が封じられています。これを使えば、術の心得がなくても別の姿になれるわけです」
「つ、使ってみてもよろしいですか?」
「どうぞどうぞ。使用する際には、『マジカルチェーンジ♪ パラリン☆ピロルン ポロパックン♪』と!」
聞いた河童が固まる。
「……そ、それ、言わないとだめですか?」
「だめです」
にやりとする楊セン。
顔を真っ赤にしながらも、河童は杖を振りかざした。
「ま、マジカルチェーンジ♪ パラリン☆ピロルン ポロパックン♪」
現われたのは、小さな魚。
地面に落ちて、ぴちぴちと跳ねている。
「おお、魚になりました!」
「成功しましたね」
びちびち。
「な、なんだか苦しくなってきました!」
「……魚ですからね」
「ど、どうすれば元に戻るのでしょうか」
「ええとですね。魚の場合は、水の中で変身し、水から出ると自動的に元に……。おや、陸で変化すると打つ手がないですね」
ぱくぱく……。
だんだん魚が動かなくなっていく……。
このままでは窒息してしまいそうだ。
楊センは杖を取り上げ、魚をつついた。
その場には、ぐったりとした河童が残っていた。
「はう、死ぬかと思いました……」
「ふむ、改善の必要がありますね。もう一度やってみましょう。今度はちゃんと川の中で……」
「ああっ、ちょっと待ってくださ……ごぼっ、もががが、わ、私、泳げな……」
「なんですと?」
楊センに、ちょい、と川に投げられた河童が、今にも沈みそうになって必死にもがいてる。
ぶくぶくぶく……。
あわてて拾いあげる楊セン。
「あなた、本当に河童ですか?」
「め、面目ない……流れる水というのがどうも苦手で……」
「許婚という彼女はそれをご存知なのですか?」
「実は川で溺れているところを助けてもらったのが出会いなのです」
「はぁ、なるほど……」
(母性本能くすぐられたんですかね)
こっそり考える。
「水が苦手となると他のものがよいかもしれませんね。変身ベルト!」
「おお、自分を改造した敵と戦うのですね!」
「それも作品が違いますが……使用する際には、手をこのように回して、『へーんしん! とぉっ!』と!」
「……そ、それ、言わないとだめですか?」
「だめです」
にやりとする楊セン。
絶対にからかっているに決まっている。
再び、真っ赤になりながらも挑戦する河童。
「へーんしん! とぉっ!」
ずしん、という音と共に、大きな固まりが地に落ちた。
「おお、石になりました! う……動けません……」
「石ですからね」
「元に戻る時はどうしたら……」
「変身ベルトのダイヤルを0時の位置に合わせて…………石だと無理ですね」
しばらくの沈黙後、楊センは石にまかれたベルトのダイヤルを戻した。
がっくりとその場にうなだれる河童。
「なかなか変身道とは奥の深いものなのですね……私などには極められそうもありません。やはり私はあきらめて彼女の毒牙……いえ、網にとらわれるしかないのでしょうか」
涙目でつぶやく河童に、己の姿を見たような気がした。
「お待ちなさい、最後にこれを試してみましょう。ミラクルコンパクト!」
「おお、空中で一回転しながら裸になっちゃうあれですか!」
「……いえ、それではキュー○ィーハニーです。どちらかというと、ひみつのア……いやいやいや。鏡を覗きながら、変身したい姿を想像し、『トクパンコルクラミンシンヘ、なんとかになーれ!』と」
「やっぱりそれ、言わないとだめですか」
「だめです」
ニヤリとする楊セン(以下略)。
「トクパンコルクラミンシンヘ、蝶になーれ!」
ぱたぱた……。
「おお、蝶になりました!」
「戻るときは、鏡をもう一度覗いて同じ呪文を唱えればよいのです」
「これなら自分で元に戻れそうです!」
「ふむ、今回は大成功、と。あとは、回数をこなせるようになにか工夫をしないと……あっ」
強い風が吹いてきた。
「あああぁぁぁぁ」
蝶が、なすすべもなく吹き飛ばされていく。
慌てて追いかけてみると、比較的すぐに見つかったが……
「ああっ、蜘蛛に食われかけている?」
人の背ほどもある巨大な蜘蛛。その陣取る網に蝶がつかまっている。
強い霊気。
どうやら、蜘蛛は蜘蛛でも、地仙クラスであるようだ。
「その蝶を食べるのは待っていただけませんか?」
「食べる?」
案の定、蜘蛛は返事をしてきた。
「ええ、その網にかかっている蝶は……」
「まぁ、とんでもない! 背の君を食べるなんて!」
蜘蛛は女性であるようだ。
「は? 背の君? 河童君?」
「じ、実は彼女が……その……」
「毒牙……網……はぁ、なるほど」
さっきの河童の言葉は、別に比喩でも誇張でもなく、ただの事実を述べただけだったのか。
「笹蟹姫、こんな姿になっても私が分かるのですか?」
「まぁ、何をおっしゃいます。私が貴方様を見分けられないわけがありますでしょうか」
「何故貴女は、こんな術も技もなく、川でおぼれるような私ごときにそんな……」
「ごときですって? 貴方様の優しさは誰よりも知っております! 私がまだ風に身を任せてさまよう幼少の頃、川に落ちて命の火を消そうという時、貴方は身の危険を顧みず、私を助けてくださったではありませんか!」
「それでは、貴女はあの時の……」
「その時以来、私は貴方様だけ。貴方の役に立てないものかと努力してきたのでございます。もしや……それがご迷惑で、お姿まで変えられたのでしょうか……」
「い、いやいや、そんなことは……」
予想外のなれそめ話に、河童はうろたえながらも嬉しそうだ。
しばらくして、楊センは声をかけた。
「河童君、元に戻りますか?」
「はい」
彼女に挨拶をした後、河童は元の川へと戻った。
楊センへ、深々と頭を下げる。
(また水がこぼれましたが大丈夫でしょうか)
この河童が頼りない理由がわかったような気がした。
礼儀正しいのも、種族によっては考え物だ。
そんな楊センの心配にも気づかず、河童が礼を言う。
「私は大切なことを見失っていたようです。私をあれほど思ってくださる方を敬遠していたなんて……今回は本当にありがとうございました。貴方とお会いしなければ、一生気づかずに逃げ続けていたかもしれません。感謝しております」
「いえいえ、私は何もしておりません。仲良くすごせることを祈っていますよ」
(太乙殿が作ったアイテムの動作確認もできましたしね)
と考えたのはナイショである。
さて、予想外に時間を食ってしまった。
そろそろ修行に戻ろう。
川を後にし、今度こそ変化して……と思ったところにまた声がかかった。
「待ちなされ、お若いの」
「え?」
「ここじゃ、ここ」
ごごごごご……と地震のような揺れと音の後、現われたのは巨大な亀のような生き物であった。
立っていた島自体が亀だったのだ。
大きな水の霊気。
「おお、もしや玄武殿でいらっしゃいますか」
「その通り。我が水の眷属を助けてもらったな、感謝しておる。あれも、気はいいのだが、いまいち自信に欠けとってのう。笹蟹姫のことも、嫌いなのではなくて、自分ではふさわしくないと思い込んで逃げておったのだ。彼女を守るという目的を持てば、あれも成長するであろう」
「目をかけている河童君だったのですね」
「ふむ、何か礼をしたいところであるが……そうじゃ、わしの甲羅をもって行くがよかろう」
「ええっ! そ、それはさすがに大きすぎるのでは……」
「こりゃ、誰が甲羅丸ごとくれてやると言ったか。欠片じゃ欠片。玄武の一部じゃ、持っておれば何か役に立つこともあろう」
黒い、鏡のような光沢をもつ甲羅。大きな水の気に満ちている。
確かに術を使う時には役に立つかもしれない。
「分かりました、ありがたく頂戴しておきます」
「うむ、達者でな」
沈んでいく玄武を見送り、楊センはほっと息をついた。
「やれやれ、不思議な一日でした。……たまには仙界に帰ってみますかね」
袖の中で、哮天犬がくぅんと小さく鳴いた。
おわり
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