藍は藍より出でて


「兄上、この植物はなんでしょう?」
目の前に広がった緑を前に、天祥が訪ねた。
生い茂る葉は朝露に濡れ、鮮やかな緑色を呈している。
立ち寄った村のほとんどを占めるほどの開けた場所に、同じ種類の植物が生い茂っていた。
「大きい葉っぱですけど、蚕を育てるための桑ではないみたいですし、手触りも固めで食用に適しているようにも見えないのですが」
「……山藍だな」
「染料の藍ですか? 藍って青くないんですか。花を使うとか?」
「いや。葉を摘んで細かく切って、水につけると青緑色の液ができる。それに糸や布をつけて染めた後、水にさらすと緑色だけが溶けて、藍色が残るんだ」
「藍色一つにも、ものすごく手間がかかってるんですね」
自分の着ている服も、そうやって染め上げられてきたのだろうか。
新ためて眺めていると、話を聞いていた雷震子が飛び込んできた。
「らいちゃんのきいろは?」
「鬱金(うこん)。これは搾り汁につけりゃいい」
「へぇ〜(×3)」
いつの間にか寄ってきた那咤が混じっていた。
「それじゃ、オレの赤は?」
「紅花。花は橙色だが、乾燥した花を水につけると黄色が溶け出すんで、残りを搾れば紅色になる」
「へぇ〜(×4)」
いつの間にか、お子様軍団に大きいのが一人増えていた。
「天化って意外と博識だよね」
「意外って言うなよ。……ガキの頃、家を出る前に色々詰め込んだからな」
「ちょうどあそこで染めてるね」
村人が、大きな樽の中に、糸の束を漬け込んでいた。
何度か揉みこんで、濃紺の液体から引き上げる。
それを太い棒にひっかけ、強く絞り上げる。
すると、染汁と同じ色と見えていた糸からは青色が流れ落ち、爽やかな空の青になってしまった。
「……意外と淡い青なんですね」
「はは、最初は浅葱色だよ。それから藍よりちょっと薄い縹(はなだ)。藍より濃い褐色(かちいろ)まで染め上げるには、二十回くらいは染め抜かないと」
「二十回も?」
「一回ごとに風にさらして、また漬ける。何度も何度も繰り返して、ついには元の藍より濃い色になったら、最上級品ってわけさ。……もっとも、このご時世じゃ、そこまで染め直すことなんかできないけどね――」
戦は人々の生活からゆとりを奪う。
美しい染め物どころか、普段に着る物や食べ物にも困っているに違いない。
彼らのためにも、早く妖魔たちの野望を挫き、平和を取り戻さなくては。
「藍は藍より出でて、藍より青し……か」
彼らの伝統と技を失わぬよう、戦の合間に少しずつ仕上げているのであろう、藍染めの布。
風にひらめく濃紺の織物を眺め、太公望は傍らに尋ねる。
「天化は、道徳師匠を越えられそうかい?」
「それにはまず、仙人にならねぇとなぁ……先は長いぜ」
聞かれた方は肩をすくめ、にやりとした。
「お前こそ、どうなんだよ?」
その問いに、大将はぷくっとふくれる。
「あのね。僕の師匠は元始天尊様だよ? 崑崙の最長老をどうやって超えろっていうのさ」
「わっかんねぇぞ。お前のことだ、千年もしたら、別の派閥のトップにでもなって……」
「どーけどけどけぇ!」
樽に寄りかかっていた天化に、父親を追っていた那咤が、勢い余って蹴りを食らわせた。
「ぐあっ!?」
「天化っ!?」

ざぶっ!

濃紺の染液があたりに飛び散る。

「お、わりい」
「――悪いで済むか、この突撃小僧!」

ばしゃっ!

天化に首根っこをつかまれた那咤が、樽に頭を突っ込まれた。

「て、てめぇ〜!」
「やるか!?」

「那咤、やめないか!」
「天化殿……申し訳――」

ばしゃばしゃっ!
二人の間に割って入った双子が、同じ色に染まった。

「うちのバカ息子がご迷惑を……っ!」

どっぽん。
足をひっかけた李靖が、樽に頭から突っ込んだ。

「いい加減にしなさい〜!」

ざばーーーっ!
大将の怒りの樽返しで、辺りの人間たちは二度染めを食らった。

「ご主人、この藍染めの液、買い取らせていただきます」
「はぁ……」
見事に青く染まった面々に、染物屋の主人は、ちょっとだけ彼らと妖魔の戦いが不安になった。

***

翌日。
桃花嶺での戦いの相手は、病魔使いの呂岳であった。
「……わしの可愛い弟子たちを可愛がってくれた礼だ。この呂岳の陣から逃れられるか?」
西岐軍の背後の土が、不気味に色を変えていた。
生えていた草や木が、みるみるうちに枯れてゆく。
「病の術……。ではこちらもいくぞ! 竜吉公主、お願いします!」
ふわりと宙から舞い降りて、戦場にありながら気高い美しさを失わない天女が、手をひらめかせる。
「霧露乾坤網!」
空に大きな蜘蛛の巣のような網が広がる。
天から落ちる澄んだ滴は、味方たちの傷を癒す。
だが、今日の雫は何やら青く染まり、味方ではなく、敵へと降り注いだ。
「な、なんだ、これは!?」
服や肌を青白く染めていく液体に、呂岳が愕然として叫ぶ。
ざわめく敵の軍の前に、一人の男がすらりと剣を抜いて進み出る。
「ふ……お前らもかかったようだな」
「なんだと?」
「これは、未だ解毒法も解明されていない恐ろしい病だ」
西岐軍でも一、二を争う剣士、黄天化。
身にまとうは、白に鮮やかな黄色――のはずだった。
それが、見る影もない暗紫色の服と、黒みがかった肌になっている。
「私達はこんなになってしまいました……せめて、お前たちも道づれに」
その後ろから進み出たのは、端正な顔が半分ほど溶け崩れた天才道士、楊セン。
「お前も、オレたちみたいになるんだ〜っ!」
「くけぇ〜!」
続いて空から降り立ったのは、那咤と雷震子。
少年の赤かったはずの服は薄黒く染まり、空に飛び立った鳥人の羽は不吉に青みがかっている。
彼らの姿を見ていた呂岳の部下たちが、自分たちの青く染まった手や足を見て、次第に血の気を失っていく。
「呂岳様、な、何か息が……」
「うう、くるし……」
「こんな病などわしにかかれば……うぬ!? このわしに分からぬだと!?」
敵の陣が乱れた隙に、西岐軍の精鋭が踊りこむ。
「あの世で悩んでろ!」
「ぎゃああああああ」
「りょ、呂岳様が倒れた!」
「ひいいっ、それより早く解毒剤を!」
将を失って浮足立った道士たちなど、もはや敵ではない。
「これぞ、幻惑術、阿鼻叫喚!」
呂岳の放った病の陣に追いつかれることもなく、勝利を手にした太公望が、よし、と呟く。
「阿鼻叫喚って、こういう技でしたっけ?」
天祥が、溜息をつく。
「まさに病は気から、ですわねぇ」
病の素、もとい、すくも(藍の染料)を天から降らせた美女が、たおやかに微笑んだ。

***

「ところでよぉ、この色、どれくらいで落ちるんだ?」
「さぁ……温泉に一週間くらい入ってればとれるんじゃない?」


おわり







楊センさんは、元々服が青いので、術で遊んでいたようです。


プリンタのインクの詰め替えを失敗しました。
黒インクが手からとれるまで、三日かかりました……。

藍はジャパンブルーとも呼ばれる、日本古来の染め物ですが、その手間から最近は本物になかなか巡り合えないそうです。
何せ、春に蒔いた藍を夏に刈り取り、乾燥させ、水につけて発酵。染料として使えるようになるには、十か月もかかるのだとか。





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