山の端に沈む月 壱


夕刻、ダイン直下の部下たちは、明日の山賊討伐に備え、白兵戦の訓練を行っていた。
勇猛で鳴らす騎馬隊だが、岩だらけの山頂では愛馬を連れて行くことができない。
彼らは、セーブルに到着したファレナの王子こそが、山賊の首領であると疑っている。
だからこそ。
山での不意打ちを考慮しての、十人ほどでの修練だった。
夕闇が迫り始めた頃、隊兵たちは一人の青年が近づいてきたことに気づいた。
「あれは……確か、山賊王子の連れだよな」
「なんだ、偵察にでも来やがったのか?」
簡素な皮鎧を身につけた、長剣を腰に帯びた若者だ。
少し離れた場所で立ち止まり、彼らを見ている。
「手の内を見せるのもしゃくだ。訓練は、適当に流すか?」
「いや、本気を見せてやれば、びびって逃げ出すだろうよ」
それもそうだ、とうなずきあって、勇猛でならすセーブルの正規兵たちは、激しい模擬戦を始めた。
急に気合の入り始めた訓練を、青年はしばらくの間、静かに眺めていた。
打ち合いが一段落ついた時。
彼は隊兵たちに声をかけた。
「あの――」
「な、なんだ!?」
「今の太刀の振り切りでは、隙が大きいです。もう少し身体に沿って落とす感じで」
「な……」
「そちらの方は太刀筋に癖がありますね。右に流れていますので、意識して修正した方がよいかと」
穏やかに発せられたその指摘は、実は隊長にも常々注意されており、本人たちも気にしているものだった。
聞いていた部隊兵たちが、顔を見合わせる。
助言だけでなく、その丁寧な言葉使いが、荒くれ者たちにはあまりなじみのないものだった。
普段なら、余計なことを、と怒鳴り返すところだが……対応に戸惑っているうちに、タイミングを逸してしまった。
奥の方から、一人が恐る恐る手を上げた。
「あの、俺……いえ、私はどうだったでしょうか」
「貴方は中距離からの攻撃を得意としていますね。他の人とは踏み込み足が逆になりますが、一歩手前からの練習を増やした方がいいです」
あのわずかな時間で全員を見ていたのか。
一人ずつにされる指摘が的確であることに、隊兵たちは驚いていた。
実のところ、この男の噂は、セーブルにも届いていた。
あの闘神祭に参加し、優勝する寸前だったという剣豪。
決勝に敗れたものの、それはゴドウィン側から何か汚い手が使われたのだと、聞き及んでいた。
元々、自分たちは、ファレナの王子の味方をするはずだった。
彼らがセーブルの民を襲う山賊ではないかという疑いが起こるまでは。
それまでは確かに、王子の陣営にいる手練れたちと会うことを楽しみにしていたのだ。
もちろん、今、目の前にいる者もその一人。
彼から直接手ほどきを受けられるというのは、武器を扱う者たちにとっては、逆らいがたい魅力であった。
しかし。
「……我々は、敵に回るかもしれない立場です。それなのに、何故修練に協力いただけるのですか?」
隊兵のもっともな疑問に、ベルクートは少し考えた後、困ったように答えた。
「現在、ダイン殿は王子の味方です。貴方たちは、そのダイン殿の大切な部下。ならば、私が皆さんと争う必要はないと思うのですが……」
やはり甘いですかね?
と笑う姿に、隊兵たちは言葉もない。
――いい人だっ!
他に表現のしようがない。
結局、誘惑に負けた隊兵たちは、我先にと対戦を申し出た。
剣士は変わらぬ笑顔のままで、まとめてどうぞ、と了承した。
さすがにこの言葉には、むっとしたものの……隊兵たちは、その剣技に舌を巻くこととなる。
とにかく攻撃を受け流すのが上手い。
対戦相手が複数いても、確実に防御し、隙をついて反撃する。
気が付けば、いつの間にか全員が剣を跳ね飛ばされていた。
自分たちもセーブルでは腕が立つと自負してきた者たちばかりだったが、この男には敵わないと認めざるを得なかった。
もしも、本当に彼らが山賊であれば……。
明日の道行きで全滅するのは、セーブルの部隊かもしれない。
しかし、打ち合いの合間に、丁寧な指導をしてくれるこの青年が、敵であるとはどうしても信じられなくなっていた。
いつもよりも熱心になった修練に水を差したのは、住居区から響き渡る鐘の音だった。
「しまった、終礼の鐘だ!」
「これは……すっかり邪魔してしまいました。片付け、手伝いましょうか?」
「ととと、とんでもない! 訓練つけていただいた上に、片付けさせたなんて隊長に知られたら、大変なことに……っ!」
そうですか、と笑顔を残して去っていく姿を、視界から消えるまで見送った後、隊兵たちは大慌てで片付けを開始した。

***

「すっかり遅くなっちまった。こりゃ、ダイン隊長に怒られる」
「下手すると飯抜きだな……」
隊兵たちは、隊長の怒りを想像してため息をつく。
自慢の隊長であるが、規律には非常に厳しく、違反には容赦ない。
すっかり叱られモードに入っている隊兵たちに、少し年長である男が念を押した。
「どんなお叱りがあるとしても、ベルクート殿のことは内緒だぞ。ただでさえ、王子が山賊ではないかと疑って、居心地の悪い思いをさせているんだ。これ以上、迷惑をかけるわけにはいかん」
「分かってますって」
食堂に入った彼らは、並んだテーブルを見回した。
他の部隊の者たちは、ほとんど食べ終わっているようだ。
「王子の一行は、こちらには来ていないようだな」
「そりゃそうでしょう。疑いが晴れるまでは、彼らにとっても我らは敵という事ですから、当然別室で……」
「遅い」
背後から、低い声があがった。
若くしてセーブルの守護神とまで呼ばれる猛将ダイン。
自分の直下の部隊が遅れてきたことに、非常に不機嫌な顔をしていた。
「山賊騒ぎの上に、王子が来られている時だというのに……お前たち、たるんでいるぞ! 全員、今夜は飯抜きだ!」
やっぱり――!
隊兵たちが、がっくりと肩を落としたその時。
「お待ちください、ダイン殿。彼らが遅れたのは、私が修練に参加して邪魔してしまったからです。罰を与えるのでしたら、むしろ私に」
「ベルクート殿……?」
振り返ったダインが、声の主を目に留めて、固まった。
しばらくして起きた叫びは、彼だけでなく、隊兵たちからも同時にあがっていた。
「ななな、なんで皿運びなんかしてるんですかーーっ!?」
ご丁寧にエプロンまでかけて。
「何か手伝えることはないかとお聞きしたところ、任せていただきました」
慣れてますし、と笑顔で答えられると、脱力することこの上ない。
エプロンが似合う剣豪って一体――っ!
先ほど、隊兵たちが見回した時にもいたはずなのだが、あまりに溶け込んでいて気づかなかったのだ。
さすがのダインも、驚き呆れ、賄いの女たちに厳しく声をかけた。
「こちらは客人ですよ! 手伝わせるなんて、何を考えているのです!」
「ダイン坊、こんないい男が手伝うって言ってくれるのに、断る手はないだろう?」
古くからの知り合いの賄い頭が、面白そうにずけずけと答えた。
「そういう問題では……」
なお言い募ろうとするダインを、ベルクートがやんわりと止める。
「私が勝手に申し出たことですから――」
「ベルクート殿、貴方も貴方です。いいですか、明日は敵かもしれない部隊の修練に参加などしては、内偵と疑われます。それに、食堂は人が集まるところだ。食事中は口も軽くなる。スパイとみなされる可能性もあるのですよ。第一、王子が疑われているこの状況で、防具を外してしまうなんて、無用心にもほどがある!」
「ああ、なるほど……そういえばそうですね。すみません、どうもこういったことには、思い至らなくて」
諭されて、見るからにしょぼんとする青年に、あちこちから声があがった。
「ダイン隊長! 修練の参加も、こちらの手伝いも、ベルクート殿は善意でしてくださったのです! スパイなどと言う事は決して!」
「そうだよ、ダイン坊。あんた、人を見る目ってもんがないのかい?」
身内からの予想外の抗議に、ダインはうろたえる。
ついさっきまで、王子が本当に山賊であると信じて、その仲間たちにも疑惑の目を向けていたのではなかったか?
そのために自分は、彼があらぬ嫌疑を受けぬうちに、先に注意しようと思っただけなのだが。
「あ、いや、私は別にベルクート殿を疑っているわけでは……」
その騒ぎを呆然と眺めていた青年が、あわてて間に入る。
「ちょ、ちょっと待ってください! 皆さん、ダイン殿は私のためを思って言ってくださったのですから――!」
隊兵や賄いの女性たちはベルクートを弁護していたはずなのに、いつのまにか肝心のベルクートが、彼らからダインをかばっていた。

何かが変だ。

気づいた者たちの間から、じわじわと笑い声が上がる。
とうとうダインまでが笑い出してしまい、取り残されたベルクートだけがきょとんとしていた。
笑いの発作がようやく収まった頃、ベルクートは入り口に立つほっそりした姿に気がついた。
「殿下」
周りの視線が一斉に集まる中、銀の髪を揺らして少年が駆け寄る。
「どうなさいました?」
「ベルクートが、一人でダイン殿の隊にいると聞いて……その――」
不安そうだった表情が、ようやくほっとしたものになる。
(まったく、この主従は)
彼らを見ていれば、山賊だなどという噂が根も葉もないことは、すぐに分かる。
しばらく滞在してもらえば、町の者たちにも自然と理解されるはずだ。
だが、それを待つ時間はない。
彼らのためにも、早急に山賊を捕らえ、疑いを解いてやりたい。
「殿下、もう食事は済まされましたか?」
「まだだけど……」
「では、こちらで皆さんといただきましょうか」
王子がうなずいたのを確認し、それでは、と作業の続きを始めようとした青年に、隊兵たちが群がる。
「ベルクート殿、それは我々がっ!」
「お二人はどうぞ、席へ!」
両手で持っていた皿の山は、たちまち隊兵たちが、並べてしまった。
「おやおや。普段、手伝いもしない連中が……。たいしたもんだねぇ」
賄い頭の呟きに、ダインも大きくうなずいたのだった。



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