黎明に叛く風の刃 壱


乱稜山は、険しい岩山であった。
ところどころにある、丈夫な蔓が唯一の登り口だ。
さすがに登り疲れて一休みしている時、王子は珍しい組み合わせが連れ添っていることに気づいた。
常に先頭に立ち、王家の者たちを護ってくれているベルクート。
その傍らに、こんな風の強い場所でも、いつも通りの服でセーブルの部隊兵たちをめろめろにしている美人紋章師ジーン。
ジーンは剣士の手を取り、なにやらいい雰囲気。
背の高い二人が並んでいる様子は、とてもお似合いなのだけれど。
なんとなく。
面白くない。
「王子、どうかなさいました?」
「なんでもない。リオン、行くよ!」
声が聞こえたらしいベルクートが、慌ててこちらに走ってきたのを目の端に捉え、ちょっとだけ王子は意地悪な笑みを浮かべた。

***

討伐は、意外とあっけなく終わった。
山賊と呼ばれていたのは、まだ年端も行かぬ少年少女の集団だった。
彼らの身軽さを生かした奇襲で、旅人や商人たちは翻弄されてきたのだろう。
だが、正規の訓練を受けたセーブルの部隊兵や、王子たちの敵ではない。
首領である少年――ロイとは少し険悪なやり取りがあったものの、彼の手下を助けると約束すると、素直に投降してくれた。
ロイは必要以上に悪ぶっているものの、仲間想いの少年であることが見て取れた。
彼を取り巻く少年少女たちも、彼を好いて集まった者たちばかりで、彼を守ろうと必死だった。
そんなにも慕われている者が、根っからの悪人とはとても思えない。
彼らがあまりにも歳若いこと。
叔母が言い出した、「黒幕を引っ張り出す」役に、ロイが同意したこと。
そして、盗んだ荷を、手をつけずに保管していたことも幸いした。
ダインや彼の隊兵たちも、たてまえ渋々ながら、彼らを受け入れてくれることを了承してくれた。
今回の山賊騒ぎは、取られた物品自体よりも、王子が山賊だ、という疑惑が最大の問題だったのだ。
それほど重い罪には問われないだろう。
蔓を伝っての岩山下りがようやく終わり、比較的開けた場所に出た時だった
大きな翼の音が聞こえたと同時に、空が真っ暗になったように思った。
巨大な身体が作り出す陰。
地響きを立てて舞い降りたのは、赤い鱗をまとった巨大なワイバーン。
路の中央にいた自分たちに向かい、火炎の息を吐き出す。
近くにいたカイルとロイが、それぞれサイアリーズとリオンを道脇へ救い出してくれたのが見えた。
自分もそちらへ飛びのこうとしたのだが、瓦礫に足を取られた。
熱風があたりの木々をなぎ倒し、灼熱の炎が渦を巻く。
直撃を受ける――!
だが、それらは自分までは届かなかった。
誰かが自分をかばい、代わりにその炎を受けたのだと気づくまでしばらくかかった。
「乱稜山の主だ」
「北の守護神――」
セーブルの隊兵たちの声がひどく遠くに聞こえる。
視界をさえぎる青。
自分を助けてくれたのが誰なのかは分かった。
……彼は無事なのか?
熱気のせいだけではなく、喉が詰まって言葉が出てこない。
「全隊下がれ、矢を射かけろ!」
ダインの声だ。
ワイバーンはまだそこにいる――!
ベルクートが離れた。
大剣を抜きざま、ワイバーンのふところに飛び込むのが見えた。
弓兵に気を取られていたワイバーンが顔を向けた時には、すでに一撃。
返す刃で第二撃、そしてなぎ払われた尻尾を避け、第三撃。
その動きには、まったく無駄がない。
こんな時だと言うのに、見惚れてしまった。
自分も両親や女王騎士たちから手ほどきを受けてきたが、咄嗟にあのように動けているだろうか。
……足を滑らせたこと自体が、まだまだな証拠だが。
竜の動きが、完全に止まった。
ぐらり、と巨体がゆらぐ。
そして――ゆっくりと、轟音を立ててその場に横倒しとなった。
飛び散る瓦礫と、砂煙。
剣を鞘に収める音に、ようやく我に返る。
「ベルクート、怪我は!?」
「ありません」
いつもと変わらぬ声にほっとしたものの、先ほどの火炎はその程度で済むものではなかったことを思い出す。
「そんなはずない、炎のブレスをまともに受けたじゃないか! 火傷は!」
「落ち着いてください、殿下。本当に大丈夫です。ジーンさんに紋章をつけかえていただいたので」
ほら、と見せられたのは、左手の甲。
宿した紋章は――
「火封じ……」
火炎系の術攻撃や、炎の熱波を無効にする紋章。
普段は回復か、攻撃補助系の紋章をつけているのに。
ジーンと共にいたのは、これのためだったのか。
「焼けた大木を見かけたので、念のために変えていたんです。ご心配はいりません」
いつになく饒舌に説明するのは、王子の顔がなかなか晴れないからか。
「早く行きましょう。でないと……」
先を急がせようとしていたベルクートが、足を止めた。
「さすがにしぶとい――」
ずん、と重い音が響いた。
「ダイン殿、殿下を連れて先に進んでください」
倒したはずのワイバーンが、起き上がりかけている。
大地に叩きつけられた鋭い爪を持った腕。
口から噴出すのは炎の息。
怒りに燃える目が、目の前の人間たちを捉える。
致命傷を与えたように見えた胸元には、何故か傷がない。
「行ってください、早く!」
立ち上がってきたワイバーンに正面から相対し、ベルクートは再び剣を抜いた。
戦っている間に行けというのか。
思わず後を追おうとした王子に、リオンが叫ぶ。
「だめです、王子! 私たちが行かないと、ベルクートさんも逃げられません!」
駆け出しかけた足が、リオンの言葉に止まった。
それは、きっと正しい。
自分たちが安全な場所へ移るまで、彼はこの場から動かないだろう。
頭では理解できても、一人を犠牲にして逃げ出すことなどできるわけがない。
なおもその場から動けずにいると、駆けつけてきたダインに腕を捕られた。
「王子殿下、行きましょう!」
その言葉が、あの時と重なった。
太陽宮が陥されたあの夜。
父と母と、そして妹と――、自分を逃がそうとしてくれた女王騎士たちも、すべてを置いて逃げ出してきたあの日。
「嫌だ、置いていくなんてできない――。もう、誰も……っ!」
これ以上、失いたくない。
自分の手の届かぬところで、いくつもの命が消えていった。
あきらめることしかできなかった自分が、どれだけ情けなかったことか。
今は、こんな目の前にいるのに!
「離せ!」
振りほどこうとしても、リオンとダインがそれを許さない。
王子の右手の紋章が、主の制御を得られないまま、不安定に輝きかけた、その時。
ベルクートが、ワイバーンの眼前に剣を突きつけた。
「乱稜山の主よ、領域を騒がせたことは謝罪する。我々はこれ以上留まるつもりはない」
ワイバーンは、その言葉を聞いているように見える。
炎の息を吐くか、それとも爪でなぎ払うか、考えているようにも。
互いに隙を伺い、殺気がぶつかりあう。
熱気を含んだ空気が、びりびりと震えている。
「頼む、退いてくれ。――殺したくない……!」
――目をそらしたのはワイバーンの方だった。
赤い竜は、ばさりと翼を打ちふると、空に舞い上がった。
岩山の向こうに姿が見えなくなり、ようやく一同は安堵の息をついた。
王子は、呆然とその場に立ち尽くしていた。
呼吸がうまくできない。
自分が敵に襲われるより、よほど怖かった。
身近な人が危険にさらされている時に、何もできないことがこんなに恐ろしいものだったとは。
どうしてこんな無茶を。
自分のために誰かが犠牲になるのは嫌だ。
残される者の気持ちも考えて。
――言いたいことはたくさんあったのに。
声が出なかった。
「大丈夫ですよ、一人ではありませんでしたから」
ベルクートの視線を追うと、ワイバーンの背後に当たる位置に、ジーンがいた。
その手には、紋章の輝き。
発動しかけた魔法を、再び封じ直している。
まだ手からあふれている光は、その威力がとてつもなく大きかったことを示していた。
「ふふ……時間を稼いでくれたから、いい力が練れたのだけど。使えなくてちょっと残念だわ」
綺麗な顔をして、怖いことを言う。
長い髪を払ったその手からは、封じ終わった紋章魔法の名残がきらきらとこぼれた。
それを見ても、まだ言葉が出てこない王子に、ベルクートは変わらぬ笑顔を向けた。
「私も、こんなところで倒れるつもりはありません」
……本当だけど、嘘だ。
ジーンがいなかったとしても、同じ行動を取ったに決まっている。
唇を噛みしめたままじっと睨んでいると、対応に困り果てたベルクートは、セーブルの隊兵たちの方へと逃げ出してしまった。
遠ざかる背に、王子は思いつくだけの罵倒を心の中に並べ、最後に一言だけ礼を添えた。



黎明に叛く風の刃 弐

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