草原を駈ける風の翼 壱


部隊兵の間で暴れている馬を目に留めて、ダインが一喝した。
「何故それを連れてきた!?」
一人が、きまり悪げに答える。
「セーブルでも、こいつを扱える者がいなくて、つい……」
「その馬が何か?」
ベルクートの問いに、ダインは軽く嘆息した。
「前のアーメスとの小競り合いで、敵方から捕らえたのですが、あまりに気性が荒くて、扱える者がいないのです。てっきりセーブルに置いてきたと思っていたのですが」
「それは、前の飼い主のために――?」
前の主に義理立てして、敵兵の言うことをきかない忠義な馬がいると聞く。
しかし、ダインはあっさり否定した。
「あれは性格ですね。あの時アーメスがあっさり撤退したのも、あれが彼らの陣で暴れまくったからですし」
「それはすごい」
「偶然とは言え、セーブルに勝利をもたらした馬ですから、生かしておきたいというのは分かるのですが」
「ダイン殿、まさか……」
「あの馬が戦闘時に暴れれば、今度敗北するのは我々です。馬は群れで動く生き物ですから、強い馬が一頭いると、それに周りもひきずられます。馬の統制を失った騎馬隊は非常にもろい。――その危険を冒すわけにはいきません」
一頭のために、部隊兵を何人も割り当てる余裕はない。
気は進まないが、処分することも考えなくては。
沈痛な面持ちで考え込んでいると。
「あら、なんとも見事な暴れ馬ですね」
ひょい、と覗き込んできた女性に、ダインがぎょっとする。
「軍師殿」
「素敵じゃないですか。要はうちで暴れなければいいんです」
それが難しいんですが。
ルクレティアのあっけらかんとした意見に、またため息。
「軍師殿。こんなところに来られるとは、何かご用事があったのでは」
ニッコリと笑って、彼女はうなずいた。
「次の作戦について、打ち合わせしようと思いまして」
「かしこまりました」
こちらも静かな暴れ馬のような女性を前にして、逆らえる者がいるはずもない。
部下たちは、心の中で旗を振って、隊長を見送った。

   ***

「なんの騒ぎだ?」
戻ってきたダインは、厩舎前から聞こえる歓声に眉をひそめた。
近くにいた隊兵が答える。
「実は例の馬に」
「挑戦している者がいるのか? どこの馬鹿だ」
騎馬の扱いにかけては右に出る者のない、セーブルの部隊兵が手こずっているものを。
アーメスやゴドウィンとの戦いを前に、大怪我をするのが関の山だ。
「それが、そのう……」
厩舎前、広場になっているところで、例の馬が乗り手を振り落とそうと、身をよじり後ろ足を跳ね上げ、暴れまくっている。
振り落とされれば、ただでは済まない。
その背に乗っているのが、見覚えのある青い服の青年であることに気づいて、ダインは蒼ざめた。
「何故止めなかった!? 素人に暴れ馬がどれほど危険か……」
「一応止めたんですが、どうしてもって。――それにあれは、どう見ても素人じゃないでしょ」
その言葉に、もう一度目をやる。
本当に素人ならば、暴れ馬の最初の一揺すりで跳ね飛ばされているはずだ。
一見、馬に振り回されているだけのようだが、うまく力を分散させている。
見守ってる隊兵たちの様子からも、もう随分長い時間、乗りこなしているようだ。
そして、馬も闇雲に暴れているようでいて、妙なクセがあることが分かった。
ダインがそう気づいた瞬間。
ベルクートが馬から飛び降りた。
駆け出そうとするのをなだめ、隊兵たちに言った。
「左後ろ足です」
「左後ろ足だ」
同時にダインも。
「気がつかれましたか」
「ええ、その足で蹴るたびに暴れ方がひどくなっている。多分、ひづめか馬蹄に異常があるのでは」
馬に慣れたセーブルの隊兵、数人がかりには、さすがの暴れ馬も観念したか、その場で膝をついた。
一見、他の馬と何も変わらないように見える馬蹄。
用心しながら後ろ足を調べていた一人が、うなずいた。
「馬蹄の釘に、極端に長いものを使っているようです。ひづめを貫いて、足を傷つけてます」
「前の持ち主が、おとなしくさせるためにわざとやったのか」
「これは歩くだけでも相当痛かったでしょう」
「ひどいことをするもんだ」
人間も動物も、手間のかかる者ほど愛着が湧いてしまうものなのかもしれない。
原因が分かったことで、隊兵たちは暴れ馬に同情的だった。
「釘を抜いて、治療して……この元気なら、二週間もすれば歩けるようになりますよ」
「よかった」
ベルクートの笑顔を見て、セーブルの騎馬隊の面々も、本当に良かったと安堵したのだった。

   ***

「それで、その馬は元気になったの?」
「ええ、もう走れるようになったと聞いています。今日は様子を見に行こうと……」
王子とベルクートが、セーブルの部隊の元へ向かっている時だった。
厩舎から、わっと人々の声があがった。
歓声のような、悲鳴のような。
そして。
厩舎から、何かが、ぽーんと湖の方へ飛んでいった。
「今のは……」
「ドンゴ!?」
湖に、大きな水しぶきが上がる。
しばらくして、セラス湖の主、ビャクレンが落ちたものを咥えてきてくれた。
「大丈夫!?」
「うーん、見事な蹴りだったんだなぁ……」
「真後ろから近づくアホがいるか! だからお前はヘボだと言うんだ!」
ずぶ濡れのドンゴに、駆けつけてきたワボンが怒鳴った。
「だって師匠、動くもんに鉄を打つのは、おいら初めてなんだなぁ」
新しい馬蹄を打つのに、腕のよい鍛冶屋であるドワーフを呼んだらしい。
「「「ベルクート殿〜」」」
厩舎側から、情けない声が上がった。
隊兵たちが数人、例の馬を囲んでいる。
「怪我は治ったのではなかったのですか?」
ベルクートの問いに、ほとほと困り果てたという顔で彼らが答える。
「治ってますよ。それがですね」
「こいつの気性の荒さは、元からだったらしくて」
「元気になった分、暴れ方がさらにひどく――」
押さえようとしている隊兵を、噛むわ、振り払うわ、蹴飛ばすわ。
「「「我々では手に負えません〜」」」
馬にかけてはプロ中のプロである彼らに、そこまで言わせるとは。
気に入らぬ手を振り払った馬は、しかしその場から駆け出そうとはせず。
つんと胸をそらして歩き出すと、自分の怪我に気付いてくれた青年の前でぴたりと止まった。
「ああ、やっぱり」
隊兵たちが、がっくりと肩を落とす。
「おや、あんたがいるとそいつはおとなしいのか。……そのまま押さえててくんな」
今度はワボンが馬の後ろに回り、蹴り上げようとした足を素早く掴んだ。
「走りやすくしてやんだから、ちっとは我慢しやがれ」
カツ、カツ、と小気味よいハンマーの音。
「さぁ、どうだい、お姫様」
手を離されて、新しい蹄鉄の具合を確かめるかのように、何度も地を蹴っている。
様子を見ていたダインが、やれやれと肩をすくめた。
「ベルクート殿。この馬、もらってやっていただけませんか」
「えっ?」
「見ての通りです。どうやら、先日乗りこなしたことと、怪我を見つけてくれたことで、貴方を主と認めてしまったようだ。これはもう、他を乗せるつもりはありませんよ」
強い馬ほど気位が高い。
「それは光栄ですが、普段の世話をあまりできないかと……」
面倒を見てやりたくとも、王子の供で城を空けることも多い。
「それはこちらで受け持ちます。時々乗っていただければ十分ですよ」
他の将兵もそうしているのだから、それは問題ない。
「私でよければ、もちろん喜んで」
「助かります」
騒ぎを覗きに来たカイルが笑った。
「今の会話、『うちのお転婆娘を頼む』っていうお義父さんからのお願いみたいですねー」
王子が微妙にひきつった顔をしている。
それには気づかないまま、ベルクートはセーブルの騎馬隊の者たちに尋ねた。
「名前はあるのですか?」
「自然と呼ばれるようになった名が、一応」
ダインがうなずき、隊兵たちが声をそろえる。
「「「アスラン」」」
「ライオンですか。それはすごい」
不満そうに彼女は鼻を鳴らしたが、名前自体は気に入っているようだ。
「アスラン、世話をしてくださる皆さんに迷惑をかけてはいけません」
その言葉に、気の荒い牝馬は、仕方ないわね、と言いたげに首を振る。
「動物ってホントに素直ですね。好きだってこと、隠そうともしない」
カイルがニヤニヤしながら言った。
「王子、もうちょっと積極的にならないと、馬に負けてますよ?」
「この軍の『女の子』には、誰にも勝てる気がしない……」
「あらあら。総大将がそんな弱気じゃ困りますね」
いつの間にか、ルクレティアまでが覗きに来ている。
美しい暴れ馬の視線に挟まれて、王子はいたたまれずに、カイルを人身御供として差し出した。



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