四神伝 ―天化―8


「おい、来たぞ!」
「げ、もうかよ?」
白い巨大な姿が視界に入る。
あの後、朱雀の霊力ががた落ち状態であることに気づいた白虎の魄は、執拗に俺たちを追っていた。
「追いつかれるぞ、追いつかれたぞ、来た来た来たーーっ」
「やかましいっ!」
朱雀の援護はもう期待できない。
俺だけの火気では太刀打ちできない。
ミニ白虎もいなければ、朱雀の羽もない。
白虎は軽く身をかがめたかと思うと、ひらりとジャンプをして俺たちの前に降り立った。
万事休すだ。
刹那、背後にまた別の大きな霊気。
「今度はなんだ!」
「麒だ!」
「こんな時に増えるなよ……」
白虎の毛針に貫かれるか、麒のひづめに倒れるか。
どちらにしろ、あまり歓迎したくない最期だな……。
だが、このパターンは似ている。
最初に、麒に襲われそうになった時、朱雀が現れて戦いがそいつらに移った時と。
案の定、白虎の注意は麒に移った。
今のうちに逃げ切れるか?
玄武の祠に入り込めれば……と間合いを計っていると、麒がひづめを岩場に叩きつけた。
固い岩盤に見えた大地は、あっけなく崩壊し、地底へと陥没する。
下は例の洞窟で空洞なのだ。
俺たちと、ちょうど俺たちの脇を走り抜けようとした白虎が、一緒くたになって地下に落ちる。
岩に叩きつけられるかと思ったのだが、弾力のある何かの上に乗った。
湿った緑の匂い。
……太公望を寝かせた、あの苔の寝台じゃねぇか。
天然の絨毯のおかげで怪我はないが、助かったとは言いがたい。
目の前には一緒に落ちてきた白虎がいる。
麒が視界から消えたので、再び標的は俺たちに戻っている。
開かれた、巨大な口。
並んだ牙まで数えられそうだ。
覚悟を決めた時だった。
左の袖辺りがもぞもぞと動き、小さなものが出てきた。
忘れていた、西の崖で拾った白猫だった。
寝ぼけたまま、よたよたと、白虎の前に進み出る。
ふわぁ〜と大きな欠伸をした後、ようやく白虎に気づいた「猫」は、背中を丸めて身体を膨らませた。
お前に対抗できる相手かよ。
せめて白虎の前から放り出してやろうと手を伸ばして、俺は唖然とした。
「猫」は、毛を逆立てた程度の大きさでは止まらなかった。
たちまち、白虎と同じ大きさまで膨れ上がり、洞窟を崩さんばかりの巨大な姿となる。
白虎が繰り出した、鋭い金属のトゲは、大地を震撼させる咆哮を受けてすべて地に落ちた。
「おおっ、白虎の魂ではないか! おぬし、いつの間に見つけておったのだ?」
「見つけたというか、拾ったというか……」
知らなかったぜ、白虎だなんて。
「これで我の羽さえあれば、封じられるものを!」
癇癪を起こしたミニ朱雀の声と同時に、苔の寝台が一気に燃え上がった。
紅蓮の炎に、二匹の白虎が巻き込まれる。
白虎たちは炎を消そうと、洞窟を崩しながらのた打ち回る。
しかし、普通の火ではない朱雀の炎は消えない。
朱雀が玄武の水によって収められたのと同じく、やがて白虎たちも次第に小さな姿となり、ぱたりと倒れてしまった。
残されたのは、焼き尽くされた苔で出来た灰。
その中に残る、一枚の紅い羽。
太公望が忘れていったのか、わざと残していったのかは知らない。
だが、おかげで助かった……。
「なんとまぁ……悪運に恵まれとるな、おぬし」
「悪運て言うなよ」
猫、いやミニ白虎は、またぐぅぐぅと眠り始めている。
これで、四神の三までを封じることができたのか。
「あとは青龍のみ。……なんとかなるか?」
「いや、すまぬがそれどころではなくなってしまった」
あらわれた小さい亀が、不吉なことを言った。
「黒亀の爺様!」
「どういうことだ?」
「白虎が戦っている間に、わしの魄が見つかってしもうた。霊気を使うつもりなら魄を麟の元へ運ばねばならぬ。見つかっても、あの大きさだからの。そう簡単にはいくまいと思っていたのだが……麒め、考えおったわ。魄を人間に取り憑かせて連れて行きおった」
「ま、まさか我の魄も?」
「おそらくの。次に狙うは、その白虎の魄であろうが……」
白虎の魄は、白銀の虎の姿で倒れたままだ。
麒はこれを狙ってまた現れるのだろうか。
せっかく苦労して朱雀と白虎を封じたってのに、結局元の木阿弥かよ。
しかも、状況は前より悪い。
だが、取り憑かせる人間が、こんな山奥に都合よくいるものだろうか。
一瞬、この場にいない太公望かと思ったが、そうではあるまい。
太公望は木属性だ。
五行属性にこだわる以上、同じ属性の者を選ぶだろう。しかも、それなりに霊力のある者でないと。
「先ほど、もう一人の道士がここに来たのだ。髪が長くて、青い道服を着とった。それがまた運悪く、水属性でのう……」
心当たりがあった。
楊センだ。
こういう状況で、仙界の代行として調査を担当すると言ったらあいつしかいない。
「てんかちゃーん」
ばさりと音がして、空が見える状態になった洞窟の天井から、覚えのある声が降ってきた。
「雷震子? お前どうしてここに……」
「なたちゃんがね、きたのかめさんをさがしとけっていうからさきにきたのだ」
俺の隣にいる黒亀の爺さんを見つけて、歓声を上げる。
「かめさん、みつけたのだ。でもちいさいのだ?」
首をかしげるその背後に、黄金色の霊気がふきあがった。
たなびくたてがみの……麒!
その時になって、ようやく俺は思い出した。
雷震子は金属性だ。
「逃げろ!」
「え?」
きょとんとするその横で、白虎の魄が操られるように起き上がった。
雷震子に飛び掛り、そのまま身体の中に溶け込むように消えてしまう。
やられた!
雷震子突然、能面のような無表情になったかと思うと、俺たちを振り返ろうともせず、空へ舞い上がる。
麒は、用は済んだと言わんばかりに、尻尾を打ち振り、たちまち姿を消した。
霊気の塊であるこいつには、距離というものが意味をなさないのだ。
今頃、最後の青龍の元に向かっているに違いない。
「最悪じゃな。東には、あの若いのが向かっとる」
「若いの……って太公望かよ! そういえば爺さん、なんであいつはここにいないんだ、眠らせとけっていっただろうが!」
まだ寝てたとしたら、さっきの白虎の騒ぎで下敷きにしていた可能性があるが、それは言わないでおこう。
「霊気が回復するまでと言ったのはおぬしであろう」
「回復したってか?」
麒に奪われた霊気は、並の人間であれば昏睡してもおかしくないほどの量だった。
目覚めたとしても、そう簡単には動けないだろうと思っていたのだが……。
「一刻ほどして目覚めた時には、完全に木気が回復しとったぞ。青龍の元へ向かうと言っとった」
東の青龍は木を司る。
木行の太公望が行くのは、互角という意味では理にかなっている。
だが一人で行ってどうする?
俺でも、朱雀や白虎を封じるのに、その魂と、強属性のアイテムが必要だったのだ。
しかも、麒が四神を同じ属性の人間に憑かせて集めている今、最良の人身御供を差し出すのに近い。
もう麒は目的の力を手に入れてしまっているかもしれない。
直接、麒麟の元へ向かうべきか?
いや、土の麒麟の強属性である青龍を放置したまま神泉苑に向かうわけにはいかない。
こんな時だからこそ、切り札になるかもしれないものを無視してはならない。
俺は、カメと猫(じゃないのだが)を左右の袖に放り込み、東の大河へと急いだ。


四神伝 ―天化―9




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