四神伝 ―天化―9
雄大に流れる東の大河。
一見、世界の変化などまるで知らぬように流れ続ける河。
だが、いつもよりも流れが激しくなっているようにも見える。
その流れの中に、何か妙なものがあった。
「たぁすけてぇぇぇ」
水音に混じって、救いを求める声が聞こえてくる。
アレが発しているらしい。
「おい……俺にはあれが、竜に見えないこともないんだが」
「安心しろ、我にもそう見える」
「わしにもな」
賛同されても嬉しくない。
水竜とも言われる東の青竜が、自分の棲家でおぼれるなよ!
飛んでいった朱雀が、水の中からそれを引っ張り上げる。
それはズンドウな奇妙な造形の生き物だった。
我ながら、よく見ただけで竜と判断できたものだ。
これが、青龍の魂。
……四神の理性共には、この一件が無事に片付いたら、是非美的感覚というものを磨き直してもらいたい。
「ふいいいい、助かった。ありがたや、ありがたや」
「おい、ここに道士が来ただろう、そいつはどうした?」
「む、知り合いか? 私と共にうまく魄を封じたまではよかったんだが、麒が現れてな。我の魄と共に連れて行かれてしまったよ」
やっぱり遅かったか……。
「麒の奴め、普段私の方が強属性だからといって、ここぞとばかりに足蹴にしおって。石化の術をかけられてこのざまだ」
情けなさそうに、短い尻尾に目を向ける。
青い体の中で、そこだけが黒曜石のような輝きを放っていた。
どうやら、これのせいで水に沈んでいたらしい。
「どれ」
黒亀の爺さんがその尻尾をぺん、と叩く。
たちまち表面にひびが入り、非常に薄い黒い欠片がぱらぱらと落ちて、尻尾が青に戻った。
青龍は「ありがたやありがたや」と玄武にぺこぺこしている。
「麒は神泉苑に向かったか」
「うむ。霊気が中央に集まっておる」
「ところで、麒はどうやって四神の魄から、霊気を手に入れるつもりなんだ」
「麟が霊気に戻ってしまったのは何故だったか覚えておるかの」
「雷……だよな。それで石碑が壊れて」
「そう、宿っているものを壊せば、他が取り込める状態の霊気になる。つまり……」
いま、四神たちが宿っているのは、人間……。それって、めちゃくちゃやばいじゃないか!
「急ぐぞ」
のんびり井戸端会議でも始めそうな、緊迫感に欠けた四神共をひっつかみ、俺は神泉苑へ向かった。
***
神泉苑。
四神を示す四つの石碑と、中央の麒麟を示す二つの石碑。
麒麟のうち、一つは雷で砕けてしまっている。
それほど珍しくもない自然現象が、たまたま麟が宿っていた石を壊してしまった。
麟を失ったことで、五行のバランスを崩した四神たちは、魂魄に分裂した。
世の中の異常気象というものは、人間が知らぬうちに、このようにして起こるのかもしれない。
普通、彼らは長い年月をかけて、再び霊気が溜まり、元に戻るのを待つのだという。
しかし今回、残された麒は他から霊気を奪ってでも伴侶を取り戻すことを願った。
たとえそれが、この世界のバランスを完全に崩壊させ、滅びさせることであっても……。
ようやくたどり着いた俺は、中央の麒麟の石碑の前に立つ見慣れた姿を見つけた。
「太公望!」
「天化!」
笑顔で振り返ったのも束の間、いきなり不機嫌の絶頂という表情になる。
「……何それ。ふざけてるのかい?」
あきれかえったような、冷たい目。
え、俺なにかやったか?
あわててその視線を追い、納得する。
俺には、四神の魂がくっついてきている。
左袖には猫もとい白虎、左肩には青龍、右肩には朱雀、頭の上には玄武。
この世を左右する四神の化身のはずなのに、見かけはひっじょーーーにマヌケだ。
「うるせえ、好きで連れてるんじゃねぇよ!」
「近寄らないでくれ」
「助けてやらねぇぞ、てめえ!」
怒鳴り返しながらも、思ったより元気だったことに、内心安堵のため息をつく。
「青龍にとっ憑かれて操られているんじゃなかったのかよ」
「いや、操られているよ。……麒の石碑を壊してしまえば、少なくともこれ以上の被害は食い止められると分かっているのに、手が動かない」
そういえば、打神鞭を構えるべき手は不自然に下ろされ、金縛りにあったかのように立ち尽くしている。
意識がはっきりしているだけで、身体の自由は利かないのか。
それにしても、今こいつ、すごいことを言わなかったか?
「麒の石碑を壊すだって?」
「そうだよ。暴走しているのは麒だけだ。麟が霊気の状態になってしまって、共にいられないことを嘆いているのなら……麒も同じ状態にしてしまえばいい」
えらく極端な結論に達しやがったな。
こういったことに同情しがちなこいつが選んだ方法とは思えない。
俺の不信に気づいたのか、太公望はきっ、とこちらを睨みつけた。
「だって他に方法があるか?」
すべてを救えないのなら、太公望はできるだけ多くのものを助けるために動く。
前回の大きな戦いの中で、救えなかった者たちに心を傷だらけにしながら、こいつが選んだ道。
考えて、考えて、最良と判断したのがその手段なのだろう。
「でも動けないんだ。今やらないと間に合わないのに!」
「俺がやる」
「天化じゃだめだよ。土の麒麟の強属性たる木……ぼくと、青龍の力でないと、この石碑は壊れない。麒は分かってて、先に他の四神を手に入れたんだ。その力で木気が封じられてしまってる」
「それじゃ、どうするんだ。もうすぐ他の連中も……」
パキン、と小枝を踏む音が響いた。
こちらに向かってくる者がいる。
誰何するまでもなく、良く知っている声が響いた。
「ちょっと、嬋玉さん、どうしちゃったのっ!」
「おい、雷震子、しっかりしろよ!」
石碑の広場に現れたのは、嬋玉と白鶴、雷震子と那咤だった。
「ししょー!」
「天化!」
「どうなってるの、これ」
俺たちに気づいた二人が駆けつけてくる。
四神に対応する数が足りたせいもあるだろうが、仙界でも特別な存在である二人は、今回の寄り代……いわば、生贄には選ばれなかったらしい。
「……皆さん、早く逃げてください!」
北の茂みから現れたもう一人は、楊センだった。
人界の異変を察した仙界から、調査に派遣されていたところを、麒に見つけられたのだろう。
玄武を取り憑かされた後、できる限りの抵抗を試みたに違いない。疲れ果てた表情に、諦めの色が濃い。
神泉苑にたどり着いた者たちは、それぞれの属性の石碑の前にぎくしゃくと歩を進めた。
すなわち
水の玄武は、楊セン。
火の朱雀は、嬋玉。
金の白虎は、雷震子。
木の青龍は、太公望。
定められた場所に着くなり、太公望以外が、自らの武器を手に取った。
それぞれの弱属性に当たる人物へ武器を向ける。
楊センは嬋玉へ。
嬋玉は雷震子へ。
雷震子は太公望へ。
「ちょっと、何してるの、皆?」
「おい、雷震子、俺の声が聞こえないのかよ!」
白鶴と那咤の呼びかけに、嬋玉と雷震子は顔をこちらに向ける。
自分の意思に反して構えられた武器に、おびえた目をしている。
「だめ、身体が言うこときかないの! らいちゃん、よけて、お願い!」
「おにいちゃん、にげてぇっ!」
「嬋玉さん……逃げてください!」
誰もが必死に抵抗しているようだが、武器を持つ手は確実に技を放つ構えに入っている。
同時に、背後の四神たちが、元の巨大な姿を現す。
中央の太公望と青龍はだけは動かない。
麒麟にとって強属性である木は、何もせずに霊気と化すことが望まれているのだ。
先の大戦で活躍した連中が、四神の霊気そのままに技を放てば一体どうなるか。
この辺り一帯が吹き飛ぶ程度じゃすまない。
使った者たちも、一瞬で見る影もない姿と化すだろう。
荒れ狂う気を収め、全員を生き残らせるには……。
「おい、何か方法はねぇのか?」
やけに静かな声で、玄武が答えた。
「我らの魄を封じた時と同じじゃ。魄と同じ魂と、強属性に当たる品があれば防げるかもしれん」
今まで、それぞれに使ったものを考えてみる。
嬋玉の攻撃には、朱雀と玄武の甲羅。
雷震子の攻撃には、白虎と朱雀の羽。
楊センの攻撃には、玄武と……。
ちょっと待て、玄武とは対決していない。
「爺さん、土属性の物がないぞ」
「麒麟に属するものだから、なくて当然じゃのう……朱雀の娘っこだけは助からんかもしれん」
「おい、冗談じゃねぇぞ?」
「玄武の霊力はわしで相殺できるが、術者本人の攻撃までは食い止められん。麒麟の属するものがない以上、仕方あるまいて」
嬋玉は、多少やかましいとはいえ、幼馴染だ。
はい、そうですかと引き下がってたまるか。
「何か他に代わりに使えるものはないのかよ!」
「ない。あきらめて他を守らぬと、一人では済まなくなるぞ」
のんびりぎみだった黒亀老の声が、不意に冷たく、氷のようになった。
本当に手がないのか。
他を守るために、一つを見捨てろと?
「副司令じゃないか。これは一体何の騒ぎだ?」
緊迫した場にひょっこり顔を出したのは、武王だった。
なんでこんなところに来てるんだ、この人は!
武王を眺めた玄武が、ふと目を細めた。
「おぬし、何を持っておる?」
「え?」
「土に属するものを持っておろう。早く出すのじゃ!」
「え、えーと。これだろうか?」
武王がわたわたと懐を探って取り出したのは、二対の小さな像だった。
素朴な作りの素焼きの像。
麒麟をかたどったものだった。
不思議なことに、片方には他の四神の品と同じくらいの霊気が宿っている。
これだ!
麒麟の像を武王の手から取り、白鶴へと投げる。
「白鶴、黒亀老と共に、その像を持って嬋玉を守ってくれ!」
同時に、太公望が叫んだ。
久しぶりに聞く、凛とした大将の指令。
この声を聞くと、どんな逆境でもまだなんとかなる、という気になるから不思議だ。
「分かったわ!」
「那咤、君は朱雀と一緒に、玄武の甲羅を持って雷震子だ!」
「あいよっ!」
「天化は……」
言われるまでもなく、俺は白虎を連れて太公望の前に立つ。
他の大きなものを守るために、一つを見捨てる。
太公望の考え方は理解できる。
たった一つのものを守るために、他すべてを犠牲にする。
麒麟の行動も分からないでもない。
だが俺は欲張りなんでな。
本当にダメだということになるまで、あきらめない。
全部手に入れる方向で進むだけだ。
白鶴が、二つの麒麟の像を前に掲げた。
「おじいちゃん、お願いね!」
「やれやれ、年寄りに無理させよって」
那咤が、甲羅をかざして叫ぶ。
「頼んだぜ、ヘンな鳥!」
「むきーっ、ヘンな鳥言うなーーっ!」
俺は、寝ぼけ顔の白虎を下ろし、朱雀の羽根を手にした。
「起きろよ、チビ白虎」
「うにゃ」
属性に従って、まず水である楊センが玄武槍を繰り出した。
同時に嬋玉が朱雀剣を放つ。
泣きながら、雷震子が白虎襲を叩きつけた。
それぞれの魂が、元の姿に戻って魄に相対する。
ぶつかり合った霊気と術力の余波で起こった突風が、神泉苑を吹きぬける。
水蒸気や、靄、土ぼこりなどが一体となって、何も見えない。
わずかに風が収まってきた時、太公望が叫んだ。
「天化、青龍から白虎のヒゲを抜いてくれ!」
鋭い大きな槍のようなものが、竜の逆鱗のある顎の下辺りに刺さっていた。
これが青龍の力を封じ込めていたのか。
引き抜くと、木気の回復と共に青龍が大地を支配する咆哮をあげ、同時に太公望が動けるようになったのが見えた。
太公望が、握り締めていた何かを麒の石碑に投げる。
青い薄っぺらな小さなものは、何の抵抗もなく石を両断し、地面に突き立った。
青龍の鱗だったのだ。
楊センを踏み潰そうとしていた麒が、動きを止めた。
一瞬の間をおいて、形をとどめていられなくなった麒は霊気となって四散した。
渦巻いていた四神の霊気は、主たちが自由を取り戻したことで安定を取り戻し始めている。
「終わった……のか?」
吹き抜けた風によって視界が広がる。
凄まじい霊力戦の名残で、大地はえぐられ、めくれ、巨大な猛獣の爪に引っかかれた様相だ。
だが、四神の石碑は何事もなかったかのように残り、ただ麒麟の石碑だけが、片方は両断され、片方は砕けて落ちている。
魂魄が融合して一体となった玄武が、麒麟の石碑の前に進み出る。
「麒よ、おぬし、霊気を奪うことばかり考えて、もう一つの方法を忘れておったのう
五行属性は、他を滅ぼす『相剋』の関係だけではないであろう。物を生み出し、育てる『相生』を忘れてはいかん。
金は水を生み、水は木を育て、木は火を起こし、火は土(灰)を生じる。
すべての属性をめぐることで、元よりも大きな霊気となる。我らは元々、そうして力を溜めてきたであろうに」
玄武たちの上に、ふわりと霊気の渦が現れた。
先ほどのような攻撃的なものではなく、見ていてほっとするような、暖かさを感じる。
まず、白虎の霊気が玄武のものに重なった。続いて、青龍へ、最後に朱雀へ。
石碑を壊されたことで四散し、漂っていた土の霊気も、大きな力に引かれたのか、その霊気の渦に吸い込まれた。
一つになった黄金の霊気が、ふわりと二つの麒麟の像に入り込む。
そして――
ただの素焼きの像であったものが、命を得て動き始めた。
小さな小さな麒麟たちが、声もなく寄り添う。
恐らく、これから何千年もかけて元の霊気を取り戻していくのだろう。
俺たちは、足を忍ばせて、その場から離れた。
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