四神伝 ―太公望―5


神泉苑。
四神を示す四つの石碑と、中央の麒麟を示す二つの石碑。
麒麟のうち、一つは雷で砕けてしまっている。
それほど珍しくもない自然現象が、たまたま麟が宿っていた石を壊してしまった。
麟を失ったことで、五行のバランスを崩した四神たちは、魂魄に分裂した。
世の中の異常気象というものは、人間が知らぬうちに、このようにして起こるのかもしれない。
普通、彼らは長い年月をかけて、再び霊気が溜まり、元に戻るのを待つのだという。
しかし今回、残された麒は他から霊気を奪ってでも伴侶を取り戻すことを願った。
たとえそれが、この世界のバランスを完全に崩壊させ、滅びさせることであっても……。
操られたまま、ほくは再びここへ戻ることになった。
「太公望!」
「天化!」
聞きたかった声だった。
最期かもしれないこの時に、会えてよかった。
しかし、目に入った友人の姿にいきなり幻滅する。
「……何それ。ふざけてるのか?」
天化があわてて自分の姿を眺める。
左袖には白虎、左肩には青龍、右肩には朱雀、頭の上には玄武。
しかも全部、あのマヌケな造形の。
天化はがくりと肩を落とし、ついで怒鳴った。
「うるせえ、好きで連れてるんじゃねぇよ!」
「近寄らないでくれ」
「助けてやらねぇぞ、てめえ!」
よかった、元気そうだ。
操られている様子もない。
てっきり南の朱雀の運び手に選ばれたのではないかと思っていたのだが……。
四神の魂をこれだけ連れているせいだろうか?
そういえば、いつの間にかミニ青龍まで回収してきているではないか。
「青龍にとっ憑かれて操られているんじゃなかったのかよ」
すでに麒がその目的で動いていることは知っているらしい。
「いや、操られてるよ。……麒の石碑を壊してしまえば、少なくともこれ以上の被害は食い止められると分かっているのに、手が動かない」
「麒の石碑を壊すだって?」
「そうだよ。暴走しているのは麒だけだ。麟が霊気の状態になってしまって、共にいられないことを嘆いているのなら……麒も同じ状態にしてしまえばいい」
ぼくの言葉に、天化は驚いたようだ。
そう、これがぼくがここに来るまでに出した結論だった。
四神の霊気がいきなり消滅すれば、人界がどのようなことになるか分からない。
できるだけ多くのものを救うためには、自分のためにバランスを崩そうとしている麒を止めるしかない。
天化の、まさか、と言いたげな目が辛い。
「だって他に方法があるか?」
すべてを救えないのなら、できるだけ多くのものを助けるために動く。
前回の大きな戦いの中で、時にはそうするしかない状況もあることを知った。
「でも動けないんだ。今やらないと間に合わないのに!」
「俺がやる」
莫耶宝剣を構えて、天化が麒の石碑に向き直る。
気持ちは嬉しいが、物理的に壊すだけではだめなのだ。
「天化じゃだめだよ。土の麒麟の強属性たる木……ぼくと、青龍の力でないと、この石碑は壊れない。麒は分かってて、先に他の四神を手に入れたんだ。その力で木気が封じられてしまってる」
「それじゃ、どうするんだ。もうすぐ他の連中も……」
パキン、と小枝を踏む音が響いた。
こちらに向かってくる者がいる。
聞き慣れた声が響いた。
「ちょっと、嬋玉さん、どうしちゃったのっ!」
「おい、雷震子、しっかりしろよ!」
石碑の広場に現れたのは、嬋玉と白鶴、雷震子と那咤だった。
「ししょー!」
「天化!」
「どうなってるの、これ」
ぼくたちに気づいた二人が駆けつけてくる。
四神に対応する数が足りたせいもあるだろうが、仙界でも特別な存在である二人は、今回の寄り代……いわば、生贄には選ばれなかったらしい。
雷震子は間に合わなかったか。
そして、南の朱雀の運び手となったのは嬋玉。
彼女は火属性だった。
「……皆さん、早く逃げてください!」
北の茂みから現れたもう一人は、楊セン殿。
玄武を取り憑かされた後、できる限りの抵抗を試みたのだろう。
疲れ果てた表情に、諦めの色が濃い。
神泉苑にたどり着いた者たちは、それぞれの属性の石碑の前にぎくしゃくと歩を進めた。

すなわち
水の玄武は、楊セン殿。
火の朱雀は、嬋玉。
金の白虎は、雷震子。
木の青龍は、ぼく。

定められた場所に着くなり、皆が、自らの武器を手に取るのが見えた。
それぞれの弱属性に当たる人物へ武器を向ける。
楊センは嬋玉へ、嬋玉は雷震子へ、雷震子はぼくへ。
「ちょっと、何してるの、皆?」
「おい、雷震子、俺の声が聞こえないのかよ!」
白鶴と那咤の呼びかけに、嬋玉と雷震子は顔をそちらに向ける。
自分の意思に反して構えられた武器に、おびえた目をしている。
「だめなの、身体が言うこときかないの! らいちゃん、よけて、お願い!」
「おにいちゃん、にげてぇっ!」
「嬋玉さん……逃げてください!」
誰もが必死に抵抗しているようだが、武器を持つ手は確実に技を放つ構えに入っている。
同時に、背後の四神たちが、元の巨大な姿を現す。
ぼくと青龍はだけは動かない。
麒麟の強属性である木は、何もせずに霊気と化せばよいのだ。
麒の石碑を壊せば食い止められると分かっているのに、身体が動かない。
天化が、自分の周りの四神たちに何か問い正している。
何か方法を思いついたのだろうか?
そうでないのなら、せめて彼らだけでもここから離れて欲しい。
先の大戦で活躍した者たちが、四神の霊気そのままに技を放てば一体どうなるか。
この辺り一帯が吹き飛ぶ程度ではすまない。
使った者たちも、周りの者も、一瞬で見る影もない肉片と化すだろう。
その時。
「副司令じゃないか。これは一体何の騒ぎだ?」
緊迫した場にひょっこり顔を出したのは、武王殿だった。
都に行くよう言ったのに、なんでこんなところに来てるんだ、この人は!
武王殿に玄武が何か言ったようだ。
彼が取り出した小さなもの二つを、天化が白鶴に投げる。
それは、とても大きな土の気配がした。
不思議なことに、片方には他の四神の品と同じくらいの霊気が宿っている。
これだ!
「白鶴、黒亀老と共に、その像を持って嬋玉を守ってくれ!」
白鶴が嬋玉に走り寄った。
「那咤、君は朱雀と一緒に、玄武の甲羅を持って雷震子だ!」
「あいよっ!」
那咤は雷震子を守るように立つ。
「天化は……」
言うまでもなく、白虎を連れてぼくの前へ立っていた。

白鶴が、二つの麒麟の像を前に掲げた。
「おじいちゃん、お願いね!」
「やれやれ、年寄りに無理させよって」

那咤が、甲羅をかざして叫ぶ。
「頼んだぜ、ヘンな鳥!」
「むきーっ、ヘンな鳥言うなーーっ!」

天化は、寝ぼけ顔の白虎を下ろし、朱雀の羽根を手にした。
「起きろよ、チビ白虎」
「うにゃ」

属性に従って、まず水である楊セン殿が玄武槍を繰り出した。
同時に嬋玉が朱雀剣を放つ。
泣きながら、雷震子が白虎襲をぼくに叩きつけた。
それぞれの魂が、元の姿に戻って魄に相対する。
ぶつかり合った霊気と術力の余波で起こった突風が、神泉苑を吹きぬける。
水蒸気や、靄、土ぼこりなどが一体となって、何も見えない。
わずかに風が収まってきた。
「天化、青龍から白虎のヒゲを抜いてくれ!」
鋭い大きな槍のようなものが、龍の逆鱗のある顎の下辺りに刺さっている。
あれが青龍の力を封じ込めている。
青龍の力が戻れば、ぼくの身体の自由が戻るはずだ。
そうすれば……。
木気の回復と共に青龍が大地を支配する咆哮をあげた。
手に握り締めていた、青龍の鱗を麒の石碑に投げる。
青い薄っぺらな鱗は、何の抵抗もなく石を両断し、地面に突き立った。
楊セン殿を踏み潰そうとしていた麒が、動きを止めた。
一瞬の間をおいて、形をとどめていられなくなった麒は霊気となって四散した。
渦巻いていた四神の霊気は、主たちが自由を取り戻したことで安定を取り戻し始めている。
「終わった……のか?」
吹き抜けた風によって視界が広がる。
凄まじい霊力戦の名残で、大地はえぐられ、めくれ、巨大な猛獣の爪に引っかかれた様相だ。
だが、四神の石碑は何事もなかったかのように残り、ただ麒麟の石碑だけが、片方は両断され、片方は砕けて落ちている。
魂魄が融合して一体となった玄武が、麒麟の石碑の前に進み出る。
「麒よ、おぬし、霊気を奪うことばかり考えて、もう一つの方法を忘れておったのう。
五行属性は、他を滅ぼす『相剋』の関係だけではないであろう。物を生み出し、育てる『相生』を忘れてはいかん。金は水を生み、水は木を育て、木は火を起こし、火は土(灰)を生じる。すべての属性をめぐることで、元よりも大きな霊気となる。我らは元々、そうして力をためてきたであろうに」
玄武たちの上に、ふわりと霊気の渦が現れた。
先ほどのような攻撃的なものではなく、見ていてほっとするような、暖かさを感じる。
まず、白虎の霊気が玄武のものに重なった。続いて、青龍へ、最後に朱雀へ。
石碑を壊されたことで四散し、漂っていた土の霊気も、大きな力に引かれたのか、その霊気の渦に吸い込まれた。
一つになった黄金の霊気が、ふわりと二つの麒麟の像に入り込む。
そして――
ただの素焼きの像であったものが、命を得て動き始めた。
小さな小さな麒麟たちが、声もなく寄り添う。
恐らく、これから何千年もかけて元の霊気を取り戻していくのだろう。
ぼくたちは、足を忍ばせて、その場から離れた。



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